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一流の技量で地域に貢献
東西医学の統合をめざす―富山大学医学部

 ◇親を助ける

 足立医学部長は、小学生の頃から富山で育った。かわいがってくれた祖母に『医者になれ』と言われ続け、子どもの頃から医師になるものだと思って育っという。「父親の兄が長崎の医専に在学中、原爆で亡くなってしまい、その遺志をついでほしいということだったと思います」

 高校生のときに富山医科薬科大学が創設されることになり、一期生として入学。卒業後は小児科に入局し、今日に至るまで、大学の歴史とともに歩んできた。

インタビューに応える足立雄一医学部長

インタビューに応える足立雄一医学部長

 「入局当時は、入院患者の治療のために2~3日病院に泊まりこむのが当たり前の時代でした。そんな中で自分がエネルギーをかけて最後まであきらめずに頑張れる対象は、子どもだと思いました」

 小児科は患者だけでなく保護者への対応が必要な点で、医師の負担が大きいのではないかと考える学生が多いという。

 「子どもの病状への不安や不満など、親の訴えが多いのは何か理由があるからで、ストレスがたまれば結局、子どもにしわ寄せがいく。親の不安や不満を受け止め、しっかり対応することで、子どもにもプラスになる。親は何とか子どもを助けてほしい。そういう意味では向いている方向は一緒。まず親御さんと信頼関係ができてしまえば、一致団結して頑張れます」

 ◇治療以外にも

 医師になって1年目、回復の見込みのない神経難病の子どもを担当した。

 「だんだん具合が悪くなって治療法もないという状況で、看護師さんと一緒になって、何とか工夫して呼吸器をつけた状態のままお風呂に入れてあげたことがありました。亡くなったあと、ご遺族から『長い入院生活の中で、あれが一番うれしかった』と言われました。そのとき、病気を治すのも大事だけど、治らない病気でも助けてあげられることはあるんだと思いました」

 これが原体験となって、アレルギーの専門医になってからも、薬を処方するだけでなく、「こんな工夫をしたら学校に行ける、もっと運動ができる」といった生活上の工夫を考え、アドバイスするようになったという。

 「病気の話だけでなく、今どんなことで困っているのか話を聞くので、僕の外来は長いです。かなり早い段階で、治らない病気でもできることがあるという経験をしたのが大きかったと思います」

富山大学医学部(同大学提供)

富山大学医学部(同大学提供)

◇地域に役立つ医師とは

 地域医療に貢献する医師を育てるために、入学試験で地域枠(15人)、富山県特別枠(10人)を設定、さらに入学後も地域医療総合支援学講座でフォローアップを続けている。

 「今の学生は頭ごなしに『田舎で頑張れ』と言ってもダメ。富山の医療の現状を分かってもらい、そこに活躍できる場がある、ちゃんと専門医になれるというキャリアパスを示してあげることが大切です」

 学生の7割が県外から入学してくるため、富山の医療事情を理解してもらうための努力が欠かせないという。県の医師会の協力も得て、富山医療学という授業も行っている。

 足立医学部長は「地域医療に携わるからといって、地域に埋もれて大した技術もないまま頑張るのは良くない。そこそこの医師では結局地域にとってはプラスにならない。本当に地域に貢献できる医師になるためには、一流の技量を持つことが不可欠。地域医療の枠にこだわらず、最新の医療に触れ、研究や留学など幅広い経験をしたほうがいい」とアドバイスする。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

【富山大学医学部 沿革】
1975年 国立富山医科薬科大学
  78年 和漢薬研究所(現・和漢医薬学総合研究所)が移設
  79年 大学付属病院が開院
  82年 大学院医学研究科(博士課程)設置
  85年 大学付属病院に和漢診療部を開設
  93年 和漢診療学講座を開講
2004年 医学系研究科(博士課程)を医科学専攻と認知・情動脳科学専攻の2専攻に改組
  05年 旧富山大学と高岡短期大学と再編・統合し、富山大学発足 

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