医学部トップインタビュー

西洋医学発祥の地、感染症領域でトップ
~旧制大学の門柱に原爆の痕-長崎大学医学部~

 長崎大学医学部は、オランダの軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトが近代西洋医学教育を開始した1857年を開学とする。鎖国していた江戸時代、外国との窓口だった長崎は感染症の入り口であったことから、感染症分野は全国トップクラスの研究実績があり、国内医療の拠点でもある。エボラウイルスなど、感染すると危険性が極めて高い感染症の病原体を安全に取り扱うための設備(BSL4=バイオセーフティーレベル4)を持つ高度感染症センターが2022年10月に稼働した。

 前身である長崎医科大学は原爆投下により崩壊し、多くの関係者が犠牲になる悲しい歴史を持つ。そのため「病める人のために頑張れる医師になってほしい」と池松和哉医学部長は話す。

池松和哉医学部長

池松和哉医学部長

 ◇大学として初のBSL4

 長崎は江戸時代、貿易の窓口であった出島を持つ港湾都市だったことから、コレラや天然痘などの輸入感染症のリスクにさらされていた。ポンペが日本で初めて近代医学教育を組織的に実施した伝習所でも、感染症の治療や予防が使命となっていた。長崎大学医学部が歩んできた歴史は、現在の熱帯医学研究所に引き継がれており、2005年にはケニアとベトナムに感染症研究の拠点を開設するなど、国内のみならず、グローバルな感染症対策や人材育成にも力を入れている。

 新型コロナウイルス発生時には、感染症研究に長年取り組んできた長崎大学医学部の強みが発揮された。

 「新型コロナは、感染症がほぼ制圧されたと思われていた中でのパンデミック(世界的流行)で、感染症研究をはじめ、感染対策や予防の重要性が再認識されることになりました」と池松医学部長。

 22年10月には、感染症研究やワクチン開発の推進のため設置された出島特区と高度感染症研究センターが稼働。高度感染症研究センターには研究の拠点となるBSL4が完備された。国立感染症研究所、理化学研究所に次いで国内では3番目となるが、大学の施設としては第1号だ。特に、長崎大学のBSL4は哺乳類にも対応しており、このタイプは世界に7~8施設しかない。

 「BSL4を稼働させるためには、スタッフの教育や訓練がとても重要となります。また、本格稼働に向けては地域住民の理解を得ることが何より大切です」

 長崎大学医学部は臓器移植分野にも定評があり、6臓器中、肺や膵臓(すいぞう)など4臓器の移植が可能な施設として認定されている。

 「肺移植に関しては、1966年に国内で2例目、世界では6例目が行われました」

ポンペの言葉

ポンペの言葉

 ◇地域医療を担う人材育成が使命

 長崎大学医学部は、2004年に長崎県と五島市による寄付で「離島・へき地医療学講座」を開いたり、離島に「離島医療研究所」を設置したりするなど、地域枠制度が導入される以前から離島・へき地医療への教育や研究に取り組んできた。

 医学部4~5年時に行われる臨床実習では、学生全員が離島実習を経験する。07年からは医学部生だけではなく、歯学部と薬学部の学生との共同実習を導入した。06年から他の大学の学生も受け入れている。

 「高次臨床実習では1カ月の離島実習を選ぶ学生もいます。離島実習は地域枠に関係なく選べるようになっていて、壱岐や対馬、上五島や下五島といった島ばかりを希望する学生も見られます」

 「地域枠以外で入学した場合であっても、教育課程の中で地域医療に興味を抱く学生は少なくない」と池松医学部長は話す。さらに、3年生の基礎配属時あるいは6年生の高次臨床実習時に、フランスやアメリカ、ケニアやアジアなど海外の大学への短期留学制度もある。

 「短期留学制度は地域枠の学生でも行けます。地域枠の場合であれば、アメリカモンタナ州での地域医療が学べるようなプログラムになっています」

 その他、ゼミナール受験といったユニークな取り組みを導入するなど、将来の地域医療を担う人材確保に努めている。卒業後、長崎県内への定着率は、県外出身生で3分の1、県内出身生では3分の2程度になる。

 「県内には多くの島を抱えているので、これらの地域を支えていくことが私たちのミッションだと思っています」

原爆後障害医療研究所

原爆後障害医療研究所

 ◇県警と連携し、変死体の薬物検査を強化

 池松医学部長が医師を意識したのは幼稚園児の頃だという。

 「子どもの頃は体が弱くて注射ばかりされていました。注射が苦手で、注射が必要ない世界をつくりたいと思ったのがきっかけです」

 専門は法医学。長崎大学医学部を卒業後、気が付いたら法医学(教室)にいたという。しかし、池松医学部長は法医学の厳しい現状を訴える。

 「国内で実働できる法医の数は120人ほどです。法医学は、なり手が少なく、いつも不足しているのが実情です」

 事件や事故、自死も含めて病院以外で亡くなった死亡例は、いわゆる死体検案と呼ばれ、全て警察で扱われる。国内の死体検案の数は年間16万~19万。長崎県内では約1600体に及ぶ。そのうちの400体ほどを長崎大学で扱っている。

 「現在、当大学の法医は院生も含めて5人いるので、だいぶ楽になりました。私だけしかいなかった頃は、年間で200体の解剖を1人で行っていました」

 事件や事故が発生すれば、すぐに警察から呼び出されるのが法医の世界。池松医学部長は、たとえ夜の11時からであっても解剖を行う。

 「考えてみてください。自分のお子さんが、例えば乳幼児突然死症候群で亡くなった時に、わが子を一晩、冷蔵庫などに安置させたくはないと思うはずです。ご遺族に一刻も早く返せるよう、昼夜問わず解剖を行うようにしています」

 また、長崎大学医学部は死因解明にも力を入れている。長崎県警と死因究明に関する協定を締結しており、警察官が大学の協力研究員として24時間、CTを用いたAi(死亡時画像診断)の撮影ができる。

 「警察官の方には放射線の講義を受けてもらい、年に1回は継続的に訓練を行っています」

 さらに、長崎県警と連携を取りながら変死体に対する薬物検査の強化にも取り組んでいる。

 「解剖は大学によって、やり方がさまざまです。肉眼だけで終わるところもありますが、当大学では病死と判断した場合には組織検査や生化学検査、そして薬物検査まで行います。病気だと思っていた死因が実は薬物中毒だったというケースも見られます」

 医学部には200種類以上の毒物を判定できる最新機器が設置している。

 「25メートルのプールに目薬1滴を垂らしても判明できるほどの精度です」

 法医学における課題は質の担保だ。「法医の数が少ない日本では、2人体制を取ることは難しいのが現状です」

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