特集

クルーズ船の経験を無駄にしないために
新型コロナウイルスの脅威の中で過ごした46日間 艦詰日記〜ダイヤモンド・プリンセス号乗船から帰国まで〜⑨
元日教組情宣部長 防災士 平沢 保人

時事通信社「厚生福祉」2020年9月29日号の連載「艦詰日記〜ダイヤモンド・プリンセス号乗船から帰国まで」第9話を転載】

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 仁川空港を発(た)ち、関西国際空港に到着。46日ぶりにわが家に戻った。私たちの長い旅は終わった。

 今も国内の感染者は増え続け、累計7万人を超える。クルーズ船の経験から何も学ばなかったのだろうか。「政府の対応」「正常性バイアス」「人権の保障」について思うところを述べておきたい。
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 【3月4日、隔離15日目】2週間ぶりに妻と対面

検疫所長から「陰性」証明書を受け取る筆者(左)

検疫所長から「陰性」証明書を受け取る筆者(左)

 午前7時起床。部屋の施錠が解かれ、2週間ぶりに妻と対面する。同9時30分に1階ロビーに集合。私たちを除く5人は荷物を持って集まっていた。仁川検疫所の所長があいさつし、一人ひとりに保健福祉部長官名のPCR検査結果の「陰性」証明書を手渡した。日本でいえば、厚生労働大臣名の証明書になる。交付までに時間がかかるわけだ。仁川検疫所長名の書類も交付された。

 その後、正面玄関で記念撮影。やはりうれしいものだ。私からは「下船から出入国、検疫と、韓国政府の人道的な特別の配慮に感謝。無事検疫を終えて、これで安心して孫を抱きあげることができる。私たちにとって、日本と韓国は両手の関係。両国は今、かつて経験したことのない困難に直面しているが、手を携え一日も早くコロナの克服を。日韓両国の皆さん、クルーズ船の乗員をはじめ、尽力いただいた全員に感謝する」と伝えた。

 ここからが忙しい。部屋に戻って、急いで荷造りして最後のごみ出し。丁寧に消毒した。2週間、毎日やれば手慣れたものだ。テレビを見ると、この日の午前10時24分時点の韓国の感染者数は5328人、完治41人、検査総数13万6707人。後に感染者数は万の単位にまで増える。この2週間で状況は劇的に変わった。

 午前10時30分に再び1階のロビーに下り、仁川空港へ出発した。施設は空港に隣接しているので、10分ほどで到着した。人のいない、がらんとした空港。今度は搭乗手続きなど何もかもが早かった。すでに自動で体温を測る機器も導入され、熱があると手荷物チェックを受けられなくなっていた。

 午後2時10分、飛行機は定刻に出発。乗客はまばらだ。検疫の書類が配られた。設問の渡航先に「中国湖北省」のほか「韓国大邱広域市」などが追加されていたが、基本的に沖縄やクルーズ船内で配られたものと同じだった。

 関西国際空港に到着すると、韓国からの到着便は他のフライトと動線が分けられていた。検疫官から水色のA6判の紙を手渡された。何も書かれていないので、これは何かと問うと、税関のところで渡せと言われた。これが検疫通過の書類だという。私たちは、沖縄で印鑑の押された検疫通過の書類をもらっても、何の断りもなく横浜で取り消されたのだから、こんないい加減な検疫でいいのかと検疫官に不満をぶつけた。日本は検疫を甘く見ているのではないかと、怒りに似た感情が湧いてきた。

 家に着いた。46日ぶりのわが家だ。何から手を付けていいのか分からなかった。

 夜遅く、帰国報告として関係者にメールを送った。「この間、大変ご心配をおかけした。感染の可能性があるということで、クルーズ船内で2月3日から強制隔離、検疫が行われ、長い過程を経て、3月4日に韓国保健福祉部長官名の『陰性』である旨の書類を受領し同日夜、帰阪した。在韓国日本大使館、外務省を経て、厚労省から4日午後10時ごろ連絡があり、必要な強制隔離、検疫も経ており、自宅待機、健康観察などの期間も終了している、保健福祉部長官名の書類をもって通常通りの生活を送ってよいとのことだった。大阪市生野区とも連絡を取り、今後、必要があれば保健所から連絡をもらうことになっている。長い間心配、負担をかけたこと、心苦しく思っている」。こんな簡単な内容でいいはずはないが、疲労困憊(こんぱい)していた。私たちの長い旅が終わった。

韓国政府発行の「陰性」証明書(一部を加工しています)

韓国政府発行の「陰性」証明書(一部を加工しています)

 【3月5日】コロナハラスメント

 一夜明けて、2人の孫とも再会。妻と一緒に2人を保育所へ送っていった。園長先生に陰性の検査結果を見せ、心配しないよう伝えた。保育所は、上の孫が園長先生に「クジラさんやサメさんに見つからないように泳いで帰ってきてと言ったのに、帰ってこない」と伝えたことで、私たちがクルーズ船に乗っていることを知り、「もっと遠いところに行った」と聞いて、仁川検疫所のことも知ったようだ。保育所を出ようとすると、孫が手を離さない。別れると、また長い間帰ってこないと思っているらしかった。きょうは早く迎えに来るからと言い聞かせ、何とか保育所を出た。

 46日間、娘から毎日送られてくる孫の写真や動画にどれほど心を癒されたことか。クルーズ船のニュースを見た影響かもしれないが、孫が自分の書いた紙芝居風の絵をフリップに見立て、「手を洗わない子はウイルスにかかる子です。手を洗いましょう」と呼び掛けた動画には大笑いだった。

 一方、帰国後、嫌なこともたくさん耳にした。「コロナハラスメント」などというようだが、私が入院して死にかけているとか、どこどこのスーパーで妻を見た、コロナをまき散らしているとか。2週間は外出を遠慮してほしいという話はあちこちから聞こえてきた。

 日本広しといえども、PCR検査で3回も陰性のお墨付きをもらった者はそうざらにはいないはずで、「こっちの方が安全だ」と言い返したかったが、聞く耳を持たない者を相手にしても仕方がない。最初は怒っていたが、ああ、日本はこの程度の国だったのかと段々悲しくなり、怒る気力も失い、諦めの境地に至った。


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