特集

クルーズ船の経験を無駄にしないために
新型コロナウイルスの脅威の中で過ごした46日間 艦詰日記〜ダイヤモンド・プリンセス号乗船から帰国まで〜⑨
元日教組情宣部長 防災士 平沢 保人


 ◇クルーズ船で起きたことは「災害」

下船時の船内。手書きの張り紙がクルーズ船の異様な状況を示す(2月18日深夜)

下船時の船内。手書きの張り紙がクルーズ船の異様な状況を示す(2月18日深夜)

 分からないことがある。私たちは沖縄で検疫を済ませ、終了したことを示す紙も受け取った。それが、何やら分からぬうちに「艦詰」が始まった。しかも、「艦詰」の根拠となる検疫法に関する政令改正は通常の方法ではなかったと聞く。想定していない事態なのだから、法の則(のり)を超えることも出てくるかもしれない。だが、それが感染を防ぎ人の命を救うなら、誰も異を唱えることはないだろう。

 しかし、ちゃんとした説明は必要だ。この災難が収束を迎え、検証が行われた暁には、法的に不備があった点を修正することだ。その際には、災害対策基本法にも目を向けてほしい。感染症は「危機」に分類されるが、基本法に定める「災害」には該当しないという。助けを必要とする側にとって、クルーズ船で実際に起こっていることは「災害」であり、医学的専門知識以外の対応では自然災害の経験で得た防災のノウハウが生かされた。

 今回、DMAT(災害派遣医療チーム)とともに災害出動した自衛隊の活躍が光った。自衛隊にとっては「細菌戦」を実践したまでなのかもしれないが、一人の感染者も出さずに任務を遂行したことは高い評価を与えられて当然だ。

 もしあの時、沖縄の時のような簡単な検疫で乗客を下船させたら、日本全体が武漢や大邱のようになっていただろうし、もし、ダイヤモンド・プリンセス号が次のクルーズに出航していたら、その後船内でどんな悲惨なことが起こっていただろう。考えるとぞっとする。

 あの時の「艦詰」の判断はやむを得なかったし、正しかった。しかし、乗員も船内の自室に待機させ、自衛隊が乗客乗員の生活支援を行っていれば、感染者数はもっと抑えられたのではないだろうか。災害時に役立つノウハウを持っている最大の「部隊」は内閣府防災担当だ。在宅避難の高齢者が何を欲しているか、医薬品はもとより紙おむつなど、日を追うごとに変化する被災者ニーズを一番理解している。

 大黒埠頭(ふとう)に完全なグリーンゾーンとなるテント村をつくり、検疫、医学の範疇(はんちゅう)は厚労省、災害支援は内閣府、船内での実行部隊は自衛隊と、役割分担して英知を生かす。船員の協力は最小限に抑え、配膳や寝ずの番などもさせない。

 そして、陸上の受け入れ施設を確保できた範囲において、高齢、病弱、内室(窓がない部屋)など乗客に順番をつけて下船させることだ。なし崩し的に始まった「艦詰」の中で、「下船させて隔離する」原則を徹底できなかったことが、事態の長期化につながった。やはり、省庁の縦割りが原因なのか。少なくとも、船内からは内閣官房、厚労省、内閣府、自衛隊などが一体で動いているとは思えなかった。

 与党も野党も同じかもしれない。3月5日の日経新聞は予算委員会での新型コロナの質問の割合について、2月初旬の衆議院18.7%、3月初旬の参議院71.1%と報じた。新型コロナの質問は確かに増えているが、国会のやりとりを断片的に聞くしかなかった船の中では、野党はコロナより「桜を見る会」や「森友・加計問題」の方が重要なのかとやきもきし、「こんな時に国会を止めて何の役に立つのか」と無力感に襲われた。

 与党も、野党が反発するような無用な挑発は避けるべきだ。政治休戦してでもコロナ対応に集中する時だ。与野党一体での対応など夢物語なのかもしれないが、これは国難なのだ。

船上から見た大黒ふ頭の様子。感染者の病院への搬出が続けられているのだろうか(2月12日)

船上から見た大黒ふ頭の様子。感染者の病院への搬出が続けられているのだろうか(2月12日)

 ◇正常性バイアスと想像力

 「艦詰」を振り返って、自身の認識が変化したと感じる。クルーズ船の体験がなければ、おそらく私はコロナウイルスに対して今のような恐怖感を持っていない。娘が「マスク、マスク」と言うのを煩わしく思っていた香港。検疫当局も甘く見ていた沖縄の入国審査。横浜に到着しても危機感は薄く、予定通りの下船を疑わなかった。食事の際に手洗いを徹底するようになったのも、妻のうるさい「お小言」があったからで、感染防止の知識から手洗いを励行したわけではなかった。

 NEPA(ネパール避難所・防災教育支援の会)から「ペットボトルの水を飲むな」と言われた時は、「そんなことができるのか」と思ったし、妻が「海に飛び込む」と引き止めなければ、韓国領事館から部屋を出ないようにと言われたにもかかわらず、写真を撮りにオープンデッキに行っていただろう。人の思考回路は「都合の悪いことは起らない。だから考えない」となりやすい。正常性バイアスだ。

 その認識が決定的に変化したのは、あの日本人乗員あかねさんの涙だ。CDC(米疾病対策センター)が3月23日に「食事提供の乗員を介し感染が広がった」との報告書を出しているが、乗員は日々、感染の広がりを目の当たりにしていた。客室にいる私たちはテレビのニュースとネットからの情報(私には記者や国会議員などからの情報もあったが)を通じて船内の様子をうかがい知るのみだったが、直接目にしていた乗員が抱いた恐怖感は私たちの比ではないだろう。乗員はその中でも、日々不満を募らせていく乗客の要求に応えてくれたのだ。仕事に対する「誇り」は、一歩間違えば大きな犠牲を払うことにつながったかもしれない。

 かなりの想像力を駆使しても、乗員の日々の苦労は理解できない。クルーズ船で行われたことは、まさに正常性バイアスの典型だったといえる。それが「健康カード」の配り忘れ、23人の検査漏れ、下船後の7人の新規感染者という結果を招いた。

 ◇最大の人権の保障は「死なせないこと」

 悩んでいることがある。分からないのだ。

 「人権」は難しい課題で、人権とは何かを問われても即答できない。あのクルーズ船を経験した私は今、最大の人権の保障は「健康でいられること」、もっと言えば「死なせないこと。生きていけること」ではないかと考えている。だから、最大の人権の蹂躙(じゅうりん)である戦争に反対してきたのだし、幸せに暮らすには、健康に生きていけることが前提だ。

 私は何度も乗員の人権について訴えてきた。結果として、乗客の下船まで乗員の人権は顧みられなかった。私は阪神・淡路大震災当時の学校のことを思い出す。被災者でもある教職員が、被災した住民のケアをして疲弊していた。やむを得なかった面もある。学校のことを一番よく知っているのは、その学校の教職員だからだ。倒れる人も続出した。日教組も支援のため全国から組合員の教職員を被災地に送った。学校のことなら、よその学校の教職員でもだいたい分かる。今ではこの時の経験を生かし、学校を避難所にするノウハウが積み上げられてきている。

 ひょっとしたら、今、ウイルスとの闘いの最前線にいる病院の医師や看護師らの医療従事者にも、同じことがいえるのかもしれない。過労で倒れる人が出ても、戦線を離れることができない。後方支援部隊も整っていない。

 私は仁川検疫所で強制隔離・検疫を経験した。韓国でも最高レベルの厳格さを備えた施設なのだろう。韓国は北朝鮮との緊張関係もあり、細菌戦などを想定し、検疫に関する法整備は日本より数段厳しいという。また、SARS(重症急性呼吸器症候群)の被害も日本より大きかった。

 本物の隔離を知ると、クルーズ船の「隔離」の危うさがよく見えてくる。乗員と対面しての食事や品物の受け渡し、危険物として扱われることのないごみの処理、感染の機会を増やすオープンデッキへの外出、タオル・シーツの交換、洗濯サービスの再開など、乗員と乗客の感染機会を増やすことが当たり前のように行われていた。それら日常業務に加え、乗客から乗員へのさまざまな要求は、感染の機会を飛躍的に増大させる危険性を伴うものだった。

 もし、乗員がサービス、ケアを行わなかったら、乗客からは大ブーイングが起こっただろう。乗客が下船するまでサービスをやめることができなかったゆえんである。比較的感染リスクの低い客室で送ることができた生活は、乗員の犠牲の上に成り立っていたといえる。

 災害時、緊急事態宣言下という状況で、果たして人権はどこまで制限されるのか、あるいは制限されるべきなのか。人権を制限しなかったら死ぬかもしれないことが予想される場合、その制限を躊躇することは人権の尊重になるのか。「自粛」「要請」と、責任の所在を曖昧にして(むしろ、曖昧にするため)、果たして「人の命を守る」対策の実効性を上げることができるのだろうか。

 まだ私の頭の中では、さまざまな疑問が旅の続きのように彷徨(さまよ)っている。(10月13日付に続く)

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