Dr.純子のメディカルサロン
ぼくが感染症の専門医になった理由 岩田健太郎・神戸大教授のメッセージ
講義する岩田さん(本人提供)【時事通信社】
もがきの毎日
だから、将来像なんてイメージすることもできず、毎日もがいていただけです。
最初は研究者になりたくて、ぱっぱと研修医やって病院で当直のバイトとかできるようになったら研究生活だー、と沖縄で研修医をしていたら、思いの外、臨床医学は難しくて、いつまでたってもぱっぱとできるようにならずに、その後アメリカに行ってさらにもがきまくっていて、気がついたら感染症のプロになっていました。まあ、それだけの話です。
まあでも、臨床医学って、要するにもがくことなんです。「いま、ここ」で全力を尽くすのがいいんですよ。患者さん診察しながら、「5年後にはこんなに出世してたいな-」とか「来年はこんな論文をだしたいなー」なんて思っていると、目の前の患者さんをしくじっちゃったりするんです。これは森鴎外の小説、「カズイスチカ」に書いてあること。今だと著作権が切れて、青空文庫とかで無料で読めますから、ご一読を。
毎日死に物狂いでもがいているのが、一番の前進法だというのは皮肉な話ですが、一種の真理だとは思っています。将来のことを夢想していると、前進はしないのですね。それに、感染症学は極めて巨大で、そう簡単にはマスターできません。マスターできたかな、と思うと、また分からないことがでてきます。新しい感染症も次から次に出現します。
感染症を軽蔑するのは簡単なんです。ちょちょっと検査して、ちゃちゃっと薬を出すのは誰にでもできる。カズイスチカの花房医学士がそうだったように。ところが、感染症の世界に「ちゃんと」はいると、こいつが難しい。何十年やっていても、とても手ごわい。自分が取っ組み合っている領域への最大限の敬意だけは忘れちゃいけないとは思っています。
まあ、それは、どの領域でも同じだけどね。
【注:メッセージのため、岩田さんの意思を尊重し、表記は原文通りとしました】
岩田 健太郎(いわた・けんたろう) 1997年島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク市ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェローを経て、2003年中国・北京インターナショナルSOSクリニックで勤務。帰国後、亀田総合病院(千葉県)で感染症科部長。08年から神戸大学大学院医学研究科 微生物感染症学講座 感染治療学分野 教授、 神戸大学医学部附属病院 感染症内科 診療科長。米国内科専門医、感染症専門医、感染管理認定CIC、渡航医学認定CTH。漢方内科専門医、ワインエキスパート・エクセレンスやファイナンシャル・プランナーなどの資格も持つ。
『サルバルサン戦記』『抗菌薬の考え方、使い方Ver.4』、翻訳本で『シュロスバーグの臨床感染症学(監訳)』、『新型コロナウイルスの真実』『感染症は実在しない』『ぼくが見つけた いじめを克服する方法』『コンサルテーションスキルVer.2』、近刊に『コロナと生きる(内田樹との共著)』『丁寧に考える新型コロナ』『考えることは力になる』など著書多数。
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(2021/03/05 05:00)