2024/08/30 05:00
婚活、不妊治療の末、養子をわが子に
~産婦人科医が実践「産まない先の選択」~
12年前に大阪から北海道・知床半島の西側、斜里町に移住した鈴木夕子医師。網走市と斜里町を含む1市6町の広大な地域(人口約8万5,000人)に、呼吸器内科の専門医は鈴木医師1人だけ。まさにこの地域になくてはならない存在だ。7年前にがんが見つかり、治療と再発を繰り返す日々の中で、常に笑顔で語りかけ、今も患者さんたちの大きな心の支えとなっている。「絶対にあきらめない!」鈴木医師の強さはいったいどこから来るのか。
鈴木夕子医師。オンラインインタビューでは終始笑顔
◇医師不足の応援要請に喜んで参加
斜里町は知床半島に位置する小さな町です。700平方キロメートルぐらいの広大な土地に1万人の人が住んでいます。大阪で生まれ育った私が最初にこの土地を訪れたのは、医師臨床研修制度が新しくなり、研修医が研修病院を自由に選べるようになったことで、地方の市町村にある病院の入局者が激減、医師不足が顕在化してきた頃でした。当時大阪で勤務していた病院の北海道の系列病院も内科医が一斉にいなくなってしまったため、1、2カ月ずつ順番に応援に来てほしいという要請がありました。先方は体力のある若い医師が来てくれると思っていたようですが、彼らは寒い所には行きたくないというので結局、部長2人と私の3人が応援に行くことになったのです。
斜里町ウトロでダイビング
◇ダイビングを通して伴侶と出会う
実は私はダイバー歴が長く、流氷の下を潜る流氷ダイビングを一度やってみたいと思っていました。医師として年齢的に院内での責任が重くなり、忙しい時期ではありましたが、北海道に行けば流氷ダイビングができるかもしれないというワクワク感が先行し、二つ返事で引き受けました。そして、その時に出会ったダイビングのインストラクターが今の夫です。夫はサケの漁師で、休漁期の冬の時期、流氷ダイビングのインストラクターをしていました。彼が阪神ファンだと知り、こんな北の果てに阪神ファンがいることに驚き、うれしさのあまり一気に距離が縮まりました。もともと北海道にゆかりがあったわけでも、地域医療に対する高い志があったわけでもない私が、極めて個人的な理由により、この地で医療に携わることになったのです。
◇北海道ではハードルが高い専門医取得
私の勤務先は網走の350床の総合病院です。けれども、常勤の医師が20人いるかどうかと大変少なく、私がここに来るまでは呼吸器内科の専門医はいませんでした。肺がんの化学療法や気管支鏡検査は札幌か北見の病院に行くか、出張医が来るのを待つしか診療の手段がありませんでした。現在は院内でできるようになりましたが、呼吸器内科の専門医は網走周辺の七つの市町村で私だけです。
網走厚生病院の内科受付前で職場のスタッフと
北海道には札幌、旭川、函館のような都会もありますが、ほとんどの地域が過疎です。北海道で専門医の資格を取得するためには、道内の決められた病院で指導医の下、研修を受ける必要があります。そもそも北海道では研修病院も限られていて、指導医の数も非常に少ないのです。そのため専門医の資格取得はハードルが高く、専門医に認定されていなくても、経験や実績を積んだ医師が診療を行うのは珍しいことではありません。
また都会の大病院であれば、さまざまな専門の医師がいるので分からないことはいつでも聞けるのですが、北海道の病院ではいざという時に頼れる医師がいないケースも珍しくありません。それでもここに来て良かったと思えるのは、医師が少ないからこそ患者さんから本当に頼ってもらえることでしょうか。自分をこんなに必要としてくれていると思うと、やりがいもあり、人一倍頑張れるんだと思います。
◇斜里町は海産物も農作物も豊富
斜里町は第1次産業の町なので、農作物はジャガイモや小麦、グラニュー糖の原料であるビートが生産されています。オホーツク海はカニやウニなど何でも採れるので、たぶん北海道の中では最も海産物がおいしい地域だと思います。また網走の海は商業捕鯨が許されていて、漁師さんが外来の扉を開けて「先生、クジラ持ってきたよ」と置いていったり、野菜をいっぱい抱えてきたりするおばちゃんもいて、豊かな自然の中で田舎ならではの人付き合いもあり、ほのぼのしています。
今から手術です(手術室の前で)
◇がんになるはずがないという思い込み
結婚して5年目、田舎の生活にもちょうど慣れてきた頃、大腸にがんが見つかりました。思い返してみると、兆候がなかったわけではありません。実は中学2年の時に腹膜炎になって以来、慢性の便秘に悩まされ、ずっと下剤を服用していました。がんが見つかる1年半前に便秘がひどくなり、いつものことだと思ってあまり気にせず、尋常ではない強い薬で対処していました。便秘から腸閉塞まで進み、その時に検査をすればよかったのですが、自分ががんになるはずがないと根拠のない自信を持ち、高をくくっていたのです。月に1回外来で診察している大阪の病院で異変を感じたときには、CT(コンピューター断層撮影)画像に自分でも分かるぐらいの大きながんが写っていました。
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