一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏
(第3回)ハーバードで外来担当=異例の早さで留学
◇当時は異例、秘書雇う
「米国のドクターには必ず秘書がいて、手術の記録まで書いてくれる。それに研究費の調達方法も、チャリティーのパーティーを開いたり、企業から助成してもらったりと、いろいろな方法でやっていました。今、僕の研究室では、留学中に学んだことがかなり生かされていると思いますよ」
国費留学だったため、帰国後は再び国立栃木病院に戻るが、米国で学んだことを早速、実践することにした。まず、秘書を持とうと考え、事務長にその意向を伝えた。
「『院長でさえ秘書なんて付けていないのに、何を考えているんだ』と怒られました。他の科の先生にも嫌味を言われましたが、それでも諦めずに、自分で経費を捻出して秘書を雇いました」
厚生省や文部省はじめ考えられる限りの機関に研究費の申請をして、秘書を雇うだけの経費を獲得したのである。
「実際に秘書を付けてみると、今まで秘書なしでどうやって仕事をしていたのかと思うほど、能率が上がりました。患者さんの紹介があった時に、紹介した医師にすばやく返事を書いてくれる。研究費の申請書類の作成など、手間の掛かる事務作業はすべて秘書がやってくれるので、僕は自分がやりたい研究に集中することができました」
紹介医への返事は、診断の結果を踏まえ治療方針など報告すべき内容を、坪田氏が患者の目の前でテープに録音し、それを秘書が文字にして書類を作成する。
「紹介医への報告内容がそのまま患者さんにも伝わるので、うそがない。説明の手間が省けるし、患者さん側の評判もすごく良かったです」
自分でこうと決めたら、できない言い訳をする前にまずやってみる。失敗を恐れずに突き進んだ先にしか見えてこないものもある。
→〔第4回へ進む〕留学中にドライアイ発覚=生涯の研究テーマに
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(2017/08/01 14:07)