一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第3回)ハーバードで外来担当=異例の早さで留学

 「手に職を持って世界中に友達をつくりたい」と考えていた坪田氏は、医師になったら必ず米国に留学すると決めていた。そこで、日本での医師免許取得と同時に米国の外国人向け医師免許(ECFMG)も取得した。

 「日本の医師国家試験だけを狙えば、合格の可能性は高いでしょう。しかし、米国の医師国試も狙うと、あぶはち取らずになってしまうかもしれない。でも、失敗したって死んでしまうわけじゃないし、やはり好きなことをしようと思ってチャレンジしました」

 ◇夢を口にする

 留学しないかと声が掛かったのは、卒業から4年目、国立栃木病院で眼科医長として勤務していた時だ。当時の慶応大医学部の眼科では卒業後10年くらいで留学する人が多かったというから、異例の早さである。

 「どうしてこんなに早く留学を薦めてくれたのかと院長に聞きました。すると、『君は会うたびにいつも留学したいって言っていたじゃないか』と言われました。自分の夢はちゃんと言葉にして周囲に分かるように伝えておくことが大切なんですね、それ以来、ほぼ日課のように自分の夢を語るようにしています」

 留学先は名門のハーバード大で、厚生省(現在の厚生労働省)の臨床研修指導医プログラムに基づいた国費留学だった。角膜の研究だけでなく臨床もやらせてもらえるという願ってもない話だった。大学6年生の時にリスクを負って米国の医師試験に挑戦した結果、手にしたチャンスである。

 「外来を一人で担当したのですが、薬の名前は分からない上に、診療に必要な言い回しを覚えるのが大変でした。患者さんは自分の病気の事だから、僕に分かるように一生懸命話してくれたし、僕も何とかして説明しなければいけない。ものすごく勉強しました」

 医療システムはじめ何もかもが、日本と米国では違う。臨床経験ができたことは、帰国後の医師生活にも大いに役に立った。

米ハーバード大留学時代の恩師と
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