一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第1回)人が集まる笑いの絶えない家 =実験セットで金魚「蘇生」

 ◇「ガマガエル」のランドセル

 「私はガマガエル背負っているみたいで嫌だったし、学校でも後ろから突き飛ばされたりして、嫌で嫌で仕方なかった。でも小学3年ぐらいで急に『自分しか持っていない物を持っているって、すごい。これって宝物じゃない』って思うようになった。いじめられても『あんたは、こんなにいいの持ってないじゃない』って言い返したら、逆にその子も緑のランドセルを欲しがるようになっちゃったの」

 これが「人の目を気にしている人は、自分の人生を生きていない。他人の人生を生きている」という考えの原点になった。「あれは父のおかげだな、と思います」と当時を振り返る。

 日々の暮らしは質素だったが、教育には出費を惜しまず、小1の時には学習雑誌の『小学1年生』と『小学2年生』を両方買ってくれたという。付録に付いていた理科実験セットで、飼っていた金魚を「蘇生」させたこともある。

 「金魚が鉢の外に飛び出して落ちちゃって、半分干からびて死んじゃいそうだったの。金魚鉢に戻して塩を入れたら元気になったんだけど、片方のひれがくっついて泳げなかった。それで、虫眼鏡を入れて作った簡単な顕微鏡みたいので、のぞきながら、ひれを剥がしてやったら、金魚が泳ぎ始めて、すごくうれしかった。私の初めての患者さんは金魚でした」。

 「自分がやられて嫌だと思うことは人にしない」というのが内藤家の家訓だった。

 「その教えを破るようなことがあると、手首をギューっと握られて、すごく痛かった。厳しいけど愛情の深い両親で、子どもたちはみんな父と母のことが大好きでした」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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