一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第1回)人が集まる笑いの絶えない家 =実験セットで金魚「蘇生」

 向井千秋さんは1952年、群馬県館林町(現館林市)で中学校の理数科教諭の父と、かばん店「べにや」を営む母の長女として生まれた。両親と4人兄弟、店で働く人や近所の人が集まるにぎやかな環境で育った。

 「男も女も関係なく、川に行ってザリガニを捕まえたり、花で首飾りを作ったり、近所中でワイワイガヤガヤして楽しくやってましたね」

 父が秋葉原で部品を買ってきて、組み立てた白黒テレビが家にあった。「あの時代にテレビのある家は珍しくて、近所の人が大勢集まっては、プロレスの力道山の試合なんかを熱心に見入っていました」。内藤家の日常には笑いがあふれ、中心にはいつも母がいた。

 「髪の毛にヘアスプレーと間違えてキンチョール(殺虫スプレー)を噴きかけたりとか、間抜けっぽいところもあって、いつも朗らかで温かい雰囲気だった。子どもを授かった時、この子が20歳になるまで自分が元気でいられるよう毎日祈っていたという話を聞き、すごくありがたいと思いました。そんな母ももう93歳になりました」

 父は授業で理科の実験があると、休みの日でも事前に学校に行って準備する真面目な人だった。向井氏はよくついて行って、実験器具を用意する手伝いをした。

 小学校に上がる時、父が「千秋は絶対これを持って行くべきだ」と、選んでくれたランドセルの色がモスグリーンだった。いまでこそカラフルなランドセルを自由に選ぶ人が増えてきたが、当時、ランドセルといえば女は赤、男は黒。緑色のランドセルはひときわ目立った。

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