一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第2回)弟の病気、きっかけに医師志す =目標に向かって一直線

 医師を目指すきっかけは弟の病気だった。3歳違いのすぐ下の弟は足の具合が悪く、向井氏が6歳の頃、東京都文京区にある東大付属病院に通院していたことがある。ペルテス病という、大腿(だいたい)骨の頭の部分が壊死(えし)してしまう病気だった。

 「当時は難病と言われていて地元の整形外科では治療ができなくて、東大病院まで鈍行で2時間ぐらいかけて通いました。弟は足を装具で固定しているので、母が背負って歩くのも大変で。私は荷物持ちで一緒について行ったのですが、医者になって困っている人を助けたいと思いました」

 夢多き少女だった向井氏は、他にもパン屋さん、スチュワーデス(当時)、オペラ歌手、オリンピック選手など、将来なりたいものはいくつもあった。しかし、小学5年ごろまでには目標を医師に絞り、学校の作文にも「将来は医師になる」と書くようになっていた。

 「弟が装具をはめた足を引きずって歩いていると、男の子たちから『お前なんでちゃんと歩けないんだ』とか言われて。ちょうど近所に足の悪いシェパード犬がいて、弟と仲間だと思っていたのか、いつも神社の階段に並んで座ってた。その姿がいつも頭から離れなくて、何とか治してやりたい、何か役に立ちたいと思ったの」

 目標が決まると、行動は早い。医者になるには大学の医学部に行かなければいけない、医学部に入学するためには、医学部に進学する人が多い高校に行った方がいい。調べてみたが、地元の館林にはそういう学校がなかった。

 「弟が東大病院に通っていたから、短絡的に東大医学部に行こうと考えたの。当時は都立日比谷高校の入学率が高かった。でも、いろいろ調べてたら、その地区に住まないと受験資格がなかった。それで東京へ行くことにしたんです」

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