一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督

(第5回)プロ1年目で思わぬ壁
スローイングに悩む

一塁に送球する巨人時代の小久保さん
 バルセロナオリンピック銅メダル、大学野球日本一の立役者として輝かしい成績を残した小久保裕紀さんは、福岡ダイエーホークスを逆指名し、当時として最高の契約金2億円(推定)で入団、1994年にプロ野球選手としてスタートを切った。しかし、1年目は思うような成績を上げることができなかった。実は、子どもの頃からずっとやってきたはずのスローイングに悩んでいたのだ。

 「試合中は大丈夫で、悪送球もそんなになかったのです。でも練習の時には、ゴルフのパッティングが打てなくなる精神的な障害『イップス』のようなことが起きていました。イニングの合間に、先輩を相手に内野でボール回しを行う時に、ボールがあちこちに行ってしまう。シーズン中からコーチに早出をしてもらい、キャッチボールの練習をずっとしていました」

 1年目のオフに、毎年ハワイで行われていたウインターリーグに派遣されることが決まった。日本や米国、韓国などの若手選手が招集され、約2カ月間、4チームに分かれてリーグ戦を行う。若手の登竜門である。小久保さんは「イップスを克服しよう。投げる方を相当上達して帰って来ないと、これからプロでやっていけない」という必死の覚悟で取り組んだ。

 「僕のスローイングが悪いということを、日本人のコーチは全員知っています。僕の弱点を克服するためには、外国人コーチばかりの方が良かったのです。だって、誰も僕のことを知らない、スローイングに悩んでいることも知らないわけですから」

 チームには内野の選手が4人しかおらず、全員が外国人だった。「僕はずっとスターティングメンバー。ダイエーでは翌年からセカンドを守るかもしれないと言われていたので、慣れない二塁手としてプレーすることになりました」。しかし、スローイングが悪いという目では見られていない。ボールを投げる相手を、松永浩美さん(三塁手)、浜名千広さん(ショート)=いずれも当時=とひたすらイメージしながら、投げ続けた。

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一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督