女性アスリート健康支援委員会 「たかが卓球、されど卓球」、メダルへの方程式

勝っても負けても悔いのないように
~ロンドン五輪卓球団体銀メダル・平野早矢香さんに聞く(下)~

 2012年ロンドン五輪の卓球女子団体で銀メダルを獲得し、16年に現役生活に区切りをつけてから6年が過ぎた平野早矢香さんに、現役選手時代のことや引退後の心境などについて話していただいた。頑張っている現役選手たちには、「日々の練習や試合に全力を尽くして『悔いなく競技人生を送る』こと」が、選手として人間としての成長につながると助言する。

平野早矢香さん

 ◇なぜか体調不良のときに好成績

 ―18歳で全日本選手権を制覇するなど若い時期から活躍されましたが、成長期に女性特有の体質の変化に伴う問題はありませんでしたか。

 「私の場合は、生理の周期が安定している方でしたので、あまりそれで苦労したことはありませんでした。高校時代には、生理の期間中、練習中に倒れる人もいました。私は生理が関係する体調不良で、練習や試合ができないということはありませんでしたね。今の選手はピルを服用する人もいるでしょうが、私は一切そんなことはなかったです。恵まれている方だったと思います。

 生理期間中は『少し体が重い』とか『頭が痛い』とか『おなかが痛い』とかはありましたが、その期間内の大会で優勝するなど、その方が成績は良かったです。全日本で初優勝の時もそうでしたね。体調は万全ではないが、結果が良いということが結構ありました。私は男性のコーチであっても、『今は生理の期間中で、体調はあまり良くない』とはっきり伝えていました。卓球をしているときは、試合で勝つことや強くなることを第一に考えていたので、例え男性がコーチであっても恥ずかしいと感じることなく、自分の状況を伝えていたと思います。」

 ―体調が良くないときに勝ってしまうというのは、なぜでしょうか。

 「試合は体調の良しあしだけで決まるものではありません。用具の調整などもありますし、相手との駆け引きで勝負が決まるので、負けたときは自分の実力が足りなかったと受け止め、言い訳はしないようにしていました」

 ―食事制限とか体重制限とか、そういうものもなかったのですか。

 「そういうことは、あまりしませんでした。ハウスダストとか、湿度が高いとアトピーが出ることはありましたが、食事に関しては食べていけないものなどはありませんでした。栄養の勉強はしましたが、その許容範囲内で、むしろ食事でストレスを解消するタイプでした」

 ◇心に残った「たかが卓球、されど卓球」の言葉

 ―現役時代のコーチや指導者から言われたことで記憶に残っている言葉はありますか。

 「あるコーチから『たかが卓球、されど卓球』と言われました。北京五輪のころだったと思いますが、『五輪でメダルを獲ったら死んでもいい』みたいなことを私が言ったのを聞いたコーチが言いました。私の目は五輪や卓球にしか向いていませんでした。五輪でメダルを取ることはとても貴重な経験ですが、そのコーチは『あなたはすごく狭い世界で競い合っているんだよ。もう少し広い視野を持ってやった方が良い』ということを言いたかったではないかと思います。その時は分からなかったのですが、今になってその言葉の本当の意味が分かった気がします」

 ―今の若い選手にどういう言葉を贈りますか。

 「引退して1年間ミキハウスでコーチもさせていただきました。3人の選手がいて、戦型は同じでも年齢も卓球(のスタイル)も違いますので、同じ言葉では伝わらないと思いました。また技術面のアドバイスとは別に、選手たちに私が伝えたことは『悔いなく競技人生を送る』ということでした。競技人生という大きなくくりで言いましたが、練習でも試合でもその1日をやりきっていくこと。何事もやり残したと思うと、そこから前に進めなくなります。結果はどうであれ、悔いなく大会を終えることで、次につながっていくのだと思います」

 ―22年6月から日本卓球協会の理事になられましたが、その感想をお願いします。

 「正直、ちゃんとお役に立てるのか不安の方が大きいです。『私が理事で大丈夫かな』と思いました。責任ある立場ですからね。引退して6年たちましたが、それでもまだ年齢的にも立場的にも選手に近いと思いますので、理事としても現場に近いところから意見を出していこうと考えています」

 ―現場目線ということですか。

 「そうですね。卓球ではアスリート委員ということもやらせていただいていて、選手がやりやすい環境を整えていくために、そういう場でしっかり発言していくことだと思います。そこはぶれないでやっていきたいと思います」

 ―現役時代には引退後のことについて、どのように考えていましたか。

 「現役はこれ以上続けられないということで引退しましたので、引退後のことについて具体的に何も考えていませんでした。運転免許を取りに行きたいというぐらいで、のんびりしたいなと。現役時代とは生活がガラッと変わるので、引退後、戸惑う選手もいるかもしれませんね。

 私が大切だと感じることは、ここまで支えてもらった人たち、仲間や指導者や両親に改めて感謝の気持ちを持ち、人間的にも広い視野でいろんな方と接していかなければいけないと思っています。選手生活の中では、若くしてお金も名声も得ることがあるかもしれませんが、一般の社会ではなかなかそうはいきません。アスリートは自分中心の生活ですが、そのありがたみを感じていないと、セカンドキャリアでは失敗しかねません。そこは注意が必要ですね」

笑顔の平野さん

 ◇指導者は「選手をよく見て理解して」

 ―ミキハウスJSCで活動していた石川佳純選手は、良き後輩でもあり、良きライバルでもありましたね。

 「ミキハウス時代の仲間は今でもみんな仲がいいです。佳純ちゃんは、彼女が小学校のころから練習に来ていましたし、四天王寺中学に進んでからも一緒にやっていましたから、よく知った仲です。ロンドン五輪でも団体戦でダブルスを組みましたが、その前にミキハウスでも全日本選手権でダブルスを組んだこともあります。だから、お互いの性格や卓球のタイプとか、よく分かっていますから、ダブルスのペアとしてはとてもやりやすかったです。人によっては気を使う相手もいましたが、佳純ちゃんとは何か自分が無理をする必要はなく、のびのびとプレーができたと思います」

 ―最後に、指導者の方たちにぜひ知っておいてもらいたいこと、伝えたいことはありますか。

 「選手によって考え方、性格、体力はそれぞれ違います。私が強くなったやり方と別の選手が強くなったやり方とは違います。同じやり方で全員が強くなるわけではないと思います。よく選手を見てあげて理解してあげることが大事です。例えば、両親がコーチという選手もいれば、私のように親は見ているだけで、コーチに任せるという選手もいます。それが心地良い選手もいれば、親に指導してもらうことで安心して強くなる選手もいます。

 結局、やり方は一つではないということです。女性アスリートの生理の問題で言えば、食事制限で生理が止まったり、婦人科系の病気にかかったりする選手が私の周りにもいましたが、現役をやめて分かったことは、『体を追い込んで相当の負担を掛けていたのだ』ということでした。他競技の指導者の中には『生理が止まってもいいから強くなれ』という話を聞いたこともありますが、競技生活の中で好成績を残すことが人生の全てではありません。その選手が競技を終えて、将来的に望めば妊娠や出産できるというように、いろんな選択をできることが大切です。私の場合は、指導者の方々に本当に恵まれました。私の長い人生を考えてくれた上で指導をしてくれていましたので、今でも心から感謝しています」

 ―体験に基づいた貴重なお話をありがとうございました。ますますのご活躍を期待しています。(了)

 平野早矢香(ひらの・さやか) 日本卓球協会理事。1985年3月24日生まれ。栃木県出身。5歳で卓球を始め、仙台育学園英秀光中学校、仙台育英学園高校を経てミキハウスに入社。18歳で全日本選手権女子シングルスを初制覇し、2007年から3連覇するなど5度の日本一。08年北京五輪女子団体で4位。福原愛、石川佳純両選手と組んだ12年ロンドン五輪の団体で銀メダルを獲得し、日本卓球陣では五輪で初のメダリストとなった。現在はミキハウススポーツクラブのアドバイザーとして後進の指導をするかたわら、スポーツキャスターや解説者としても活躍。

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