女性アスリート健康支援委員会 「たかが卓球、されど卓球」、メダルへの方程式

第二の人生は広い視野で生きる
~ロンドン五輪卓球団体銀メダル・平野早矢香さんに聞く(上)~

 2012年ロンドン五輪の卓球女子団体で銀メダルを獲得し、16年に現役生活に区切りをつけてから6年が過ぎた平野早矢香さんに、現役選手時代のことや引退後の心境などについて話していただいた。頑張っている現役選手たちには「日々の練習や試合に全力を尽くして『悔いなく競技人生を送る』こと」が、選手として人間としての成長につながると助言する。

オリンピックマークの前に立つ平野早矢香さん=東京都新宿の日本オリンピックミュージアム

 ◇卓球がすべてだった現役時代

 ―08年の北京五輪では惜しくもメダルに届きませんでしたが、その経験があったからこそ4年後のロンドンの銀メダルに結びついたのでしょうか。

 「03年4月にミキハウスに入社しましたが、1年後のアテネ五輪の代表には入れませんでした。次の北京五輪に向けて『国内で代表になるハードルは高いな』と思いました。4年のスパンで『五輪代表に入ることが先決』と考えました。北京五輪の代表になれましたが、チームとしてはまだメダルを取るだけの実力はなかったかもしれません。チームランキングも世界で5位でしたからシードにも入れませんでした。メダル決定戦で韓国に敗れ、メダルには届きませんでした。

 次のロンドン五輪までの4年間では、メダルを取るための準備を徹底し、それまで以上に高い意識を持って取り組みました。チームランキングも2位に上がり、最強の中国と反対側のブロックに入ることができましたので、メダルを取る確率はかなり上がりました。23歳で北京五輪を経験し、4年に1度の特別な舞台で空気感も違うことが分かっていました。自分の良いところ、悪いところも全部出てしまうのが五輪なので、日ごろから技術やメンタルで相当高い意識を持ってやらなければいけないと考えていました。そういう意識がロンドンでは生きてメダルにつながったと思います」

 ―その4年後のリオデジャネイロ五輪では、日本代表の座を得られませんでした。そのときの気持ちはいかがでしたか。

 「ロンドン五輪からシングルスの枠は2人になり、私はそれには入れず団体戦だけでした。リオではシングルスも団体戦でもメンバーに入るために強化してきましたが、15年9月ぐらいに代表に入れないことが分かりました。今も活躍している伊藤美誠選手や平野美宇選手に世界ランキングで抜かされた感じでした。

 『さて、次の目標をどこに置くか』。これからどうするかについて決めるのに時間がかかりました。20年の東京五輪に目標を置くかどうか。私は五輪を経験していましたから、目標を下げて卓球を続ける気持ちにはなれませんでした。

 しかし、35歳で迎える東京五輪までの4年間、リオのときより代表権を得るのは厳しくなるのが現実かなと思いましたし、可能性の少ないことに、この年齢での4年間をかけることはできないと思い、最終的には16年4月の大会を最後に現役を引退しました。『引退試合をしてほしい』という両親の想いを知っていたので、引退を決めてから2つの大会に出場し、それを最後に現役生活を終えました」

 ―実際に引退してみての気持ちはどうだったのでしょうか。

 「これをしたいというようなものはなく、『とりあえず、ゆっくりしたいな』という気持ちしかありませんでした。振り返ってみると、1大会1大会、すごく必死にやっていた感じがしていますが、やってきたことや決断したことに全く後悔はありません。今、客観的にアスリートを見て考えると、『現役中、もう少しリラックスする時間があっても良かったのかな』という気はします。当時は卓球がすべてという感じでやっていましたが、もっと世界は広いのだなということを感じています」

 ―完全に休む時間を持つべきだったということですか。

 「年齢によって違うと思います。20歳前後は(休まなくても)追い込んでいけますが、29歳、30歳、31歳と年々体の疲れが翌日に残るようになりました。練習はある程度こなせても、シーズンを通して試合にコンデションを合わせるのは難しくなりましたね。もう1回やるとなれば、年齢や状況に合わせてやり方を変えた方が良かったのかなと思います」

インタビューに答える平野さん

 ◇時代とともに変化する卓球

 ―今の選手たちに伝えたいことはありますか。

 「ベテランの選手は力が落ちてきますが、経験はあります。脂の乗った勢いのある選手はいろんなことを吸収して成長しますが、壁にぶつかったときにはベテランの経験が役にたつこともあります。『ベテランの卓球は古い』と言われることもあるかと思いますが、チームとしてはベテランと若手の両方の力が必要です。卓球は相手と勝負する対人競技ですが、力任せの競技ではありません。頭を使ってやる競技ですから、経験が必ず生きてきます」

 ―「古い卓球」とは、どういう意味でしょうか。

 「卓球は、かつて1ゲーム21点マッチだったのが11点マッチになり、ボールの大きさも38ミリから40ミリに、材質もセルロイドからプラスチックに変わってきました。それに伴って卓球の質もどんどん変わってきました。

 技術面でも、以前はネット際のボールはフォアハンドで処理をする選手が多かったのですが、今はよく耳にするかと思いますが『チキータ』という技が主流になってきました。ネット際の足の短いボールをバックハンドで強打したり、回転を掛けたりして先手を取るレシーブです。チキータ自体もどんどん進化して、一発で仕留めるような威力のあるチキータも増えてきました。私も現役の最後の方ではチキータを練習しましたが、試合で自信を持って使えるまでには上達しませんでした。時代とともに新しい技術が出てきます」

 ―現役時代は長年世界のトップで戦ってこられましたが、その間の苦労や挫折をどうやって乗り越えたのでしょうか。

 「国内の大会でも五輪でも、それに向かって自分の技術を磨いて(課題を)クリアしていくしかありません。特別な選手は特別なことをやっているかと思われがちですが、一つ一つ、技術や目標をクリアしていくしかありません。どんな選手でも、うまくいかないときはあります。

 例えば、全日本選手権あるいはワールドツアーの大会に向け、その日程から常に逆算して期限付きの強化をしていきます。勝つための技術を身に付けるため、何でも、どんなことでも吸収しようと思い、やってきました。しかし、勝負の世界なので、練習を夜中までやったとしても成績につながらないこともあります。失敗したこともたくさんあります。やってみないと分からないこともありますから、これは自分に合うと思ったことが、やはり合わなかったとか、山あり谷ありです」

 ―辛抱強く課題をクリアしていったことが結果につながったのですね。

 「諦めずに、めげずにできるかどうかです。うまくいっていない状況でも自分の気持ちを高めて、試合と同じような緊張感を持ってやっていくことが試合につながると思います」(了)

 平野早矢香(ひらの・さやか) 日本卓球協会理事。1985年3月24日生まれ。栃木県出身。5歳で卓球を始め、仙台育英学園秀光中学校、仙台育英学園高校を経てミキハウスに入社。18歳で全日本選手権女子シングルスを初制覇し、2007年から3連覇するなど5度の日本一。08年北京五輪女子団体で4位。福原愛、石川佳純両選手と組んだ12年ロンドン五輪の団体で銀メダルを獲得し、日本卓球陣では五輪で初のメダリストとなった。現在はミキハウススポーツクラブのアドバイザーとして後進の指導をするかたわら、スポーツキャスターや解説者としても活躍。

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