「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

先遣隊、警察庁要請前に能登被災地へ
~「地元法医として」検案活動―金沢医科大教授~ 【第5回(中)】

 240人を超える犠牲者を出した能登半島地震。日本法医学会は1月4日に警察庁から要請を受け、遺体検案のため被災地の石川県輪島、珠洲両市に8次にわたり法医学者を派遣した。金沢医科大学医学部の水上創教授は、3日夜に「先遣隊」(0次)として警察車両で輪島に入り、検案所に向かった。現地での活動状況について話を聞いた。

多数の建物が倒壊し、道路が覆われた町並み=2024年1月18日、石川県珠洲市【時事通信社】

多数の建物が倒壊し、道路が覆われた町並み=2024年1月18日、石川県珠洲市【時事通信社】

 ◇段差、割れ目、がけ崩れで輪島へ6時間余

 年明けは、家族サービスで静岡県の熱海にいたんです。そこで長崎大学医学部長の池松和哉教授(日本法医学会庶務委員長)から電話がありました。能登半島での大きな地震の第一報でした。法医学会として早期の対策本部立ち上げも考えていたようです。ただ、暗くなっていく時間だったので、様子が分からないという話をしました。

 一夜明けてみると、これは大変だと分かり、池松先生に「取りあえず私はいったん現地に入ります」と伝えました。石川県警の検視官に電話したところ、「(犠牲者の)数が増えてきています」との答えが返ってきたこともあり、法医学会として検案のための人員を派遣することになると判断がついたわけです。

 ただ、法医学会は警察庁からの正式な依頼がないと動けないという事情があるので、まずは県警からの依頼で地元の法医が行くという形にしました。とにかく入ろうと。

 もともと石川県では、金沢大と金沢医科大で県警の司法解剖の担当エリアを分けていて、金沢大は南の加賀地方、うちは北の能登地方がメインという事情もあります。

 大学のスタッフに連絡して、検案に必要な注射針やシリンジ、ピンセット、オペ手袋等の感染対策に関わる資材などを準備するよう伝えました。それから死体検案書などの書類。取りあえず大学にあるものを持って行くことにしました。

多くの車両で渋滞する道路=2024年1月5日午前、石川県輪島市【時事通信社】

多くの車両で渋滞する道路=2024年1月5日午前、石川県輪島市【時事通信社】

 3日朝の新幹線で熱海から東京を経て北陸新幹線で金沢まで戻りました。北陸新幹線も余震のため、途中で止まったりして遅れました。熱海を午前7時くらいに出て、石川県に着いたのが、午後1時ごろだったと思います。

 金沢駅には、顔見知りの警察官が警察車両で迎えに来ていました。金沢医科大(石川県内灘町)は、金沢と能登半島を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の出発点に近い所にあります。いったん立ち寄って必要品をピックアップして現地に入る形になりました。

 午後1時半くらいに大学を出て、輪島に向かいましたが、のと里山海道は七尾の手前くらいから先は、下の道しか通れないという話になりました。大渋滞で、輪島着は午後7時ごろ。6時間余りかかっています。道路に段差や割れ目などが生じており、がけ崩れで交互通行になっていました。

 途中で、大阪とか群馬とか他府県の消防車や救急車が列を連ねて向こう(輪島、珠洲方面)に入るというので、一般車両はちょっとよけた状態になっていました。自衛隊の車両やタンクローリーなども待っていたりして、道路事情はものすごく悪かったです。


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