「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
先遣隊、警察庁要請前に能登被災地へ
~「地元法医として」検案活動―金沢医科大教授~ 【第5回(中)】
捜索活動で見つかった遺体に黙とうする警察官=2024年1月7日、珠洲市【時事通信社】
◇厳しい環境、大学を中継基地に
ご遺族の受け付けスペースにはストーブなども用意してありましたが、われわれの方はご遺体もあるので無しです。大学に寄った際に持ってきたパーカーや白衣なども着込んで検案に当たりましたが、とにかく寒い。
体育館は地震でガラスなども割れていて、ほとんど外のような状態。風は吹きさらしで、背中にカイロを貼ったりして何とか耐えていました。
宿泊は輪島署の道場です。布団が大量に敷いてあり、署員もそこで寝ていました。暖房は入り口にだるまストーブが1個あるだけで、道場のドアを開けると、風が吹き込んできます。ただ、厚着して布団の中に転がり込んで寝る分には何とかなりました。
食料に関しては、携帯食やパンなどを熱海の駅前で少し購入したほか、うちの大学前のコンビニにも行ってもらったんですが、買い尽くされて目ぼしいものはすっからかんでした。
自己完結でいきたいのに困ったなと思っていたら、現地ではカップラーメンやアルファ米、缶詰パンなどが持ち込まれており、署員に「自由に食べてください」と声を掛けられ、少しいただきました。お湯もストーブのやかんで沸かしたのを「使っていいですよ」と言われました。
水道は止まったままです。トイレは、2日目に工事現場の仮設トイレが輪島署に設置されました。検案場所の旧中学校にはトイレがないと言われ、ビニール袋と凝固剤が準備されていました。珠洲の生活環境はさらに厳しかったようです。
法医学会が第1次で派遣した高塚尚和・新潟大学教授と6日に交代して、私は引き揚げました。大学に戻った後は、そこを(現地派遣の)中継基地にして物資や水などを補給して能登へ向かってもらうようにしました。珠洲に行く人にはお湯を沸かすポットも渡すなど、こちらでできることはやりました。
金沢医科大学医学部の水上創教授(法医学)=本人提供【時事通信社】
◇助かる家を増やすしかない
家が倒壊した後に生きておられたり、落ちた物が頭に当たって救急車を呼んでも来なかったりということであれば、結局一つの町の中で家屋が大量に倒壊した場合、救急隊や消防隊のリソースが少なく、間に合っていないということだろうと思うんです。
もちろん、あちこちで(救助活動は)必死にやっていたでしょう。でも手が足りず、後手に回ってしまうというのもしょうがない。それを防ぐには、家がつぶれないようにするしかありません。
過疎の町なので、それほどお金がないのかもしれないし、古い木造の町並みが、朝市の風景をつくっていたのかもしれないが、耐震でない建物が一気に倒れて、たくさんの人が下敷きになったら一度に助けられない。命が失われないようにするためには、倒れない家を増やすしかないんじゃないかと。
例えば南海トラフ地震に備えて、高知県などで津波避難タワーが建てられていますが、そもそも1発目の地震で助かって脱出できなければ、そこへは逃げようもない。
とにかく最初の揺れで死なない、動けなくならないことです。今回、助けが早く来れば何とかなった人たちも恐らく何割かいたと思うので、家や町の耐震化のための努力をする以外ないのかなと感じています。
高齢者にとって家の再建はかなりハードルが高い。(国や県が)かなりのてこ入れをしないと、能登は急速に過疎化が進むのではないかと懸念しています。(時事通信解説委員・宮坂一平)
(2024/02/09 12:00)
【関連記事】