「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
先遣隊、警察庁要請前に能登被災地へ
~「地元法医として」検案活動―金沢医科大教授~ 【第5回(中)】
倒壊した家屋で、安否不明者の確認を行う警察官=2024年1月6日午後、輪島市【時事通信社】
◇廃校の遺体安置所に既に20体
輪島署も停電状態でした。暗い中、遺体安置所は午後9時まで開けているとのことで、その足で車で10分ほどの場所にある廃校になった中学校に移動しました。
体育館の中は、遺体安置所と検視・検案スペースに仕切られ、既に地元の警察医の方が検案を済ませたご遺体が12体くらい、ご遺族に引き渡される状態になっていました。他に警察の検視が終わったご遺体が10体くらいあり、私が検案を行いました。
初日に限らずですが、建物や他の何かが倒れて下敷きになったことに関連して亡くなった方がほとんどでした。「輪島朝市」の焼け跡で焼死体の状態で見つかったご遺体もありましたが、それ以外は、胸部や腹部などに損傷があったり、頭を少しぶつけたような痕があったり。体の表面に圧迫された痕や外傷の痕跡があるご遺体がほとんどです。
携帯電話の電波状態が悪いので、取りあえず池松先生に一報を入れ、午後11時ごろにその日の検案を終えて輪島署に戻りました。
ショートメールを打つような形で、情報は逐一送るようにしていました。4日夕に送った犠牲者の死因内訳の情報も、3日夜から4日夕にかけ、私が検案したご遺体のトータルの報告です。
火災で多くの建物が焼失した観光名所「朝市通り」付近で活動する消防関係者ら=2024年1月13日午前、輪島市【時事通信社】
◇しばらく生存した痕跡も
4日に送った報告で、低体温で亡くなった方は4人ですが、このうち2人は避難所からいったん自宅に帰って亡くなった方です。(壊れた)家で暖房が使えなかったことなどが考えられますね。他の2例は家屋倒壊現場で見つかった方です。しばらく生きていたような様子がありました。
低体温で死亡する、いわゆる凍死の場合、心臓の血の色が左右でかなり違うのが所見の一つ。調べてみると、色が鮮やかに違っていて、これは間違いなく低体温と言えるわけです。恐らく建物に挟まれて動けないまま凍えて亡くなった方であろうと判断しました。
今回の地震では、即死に近い状態とか、極めて短時間で亡くなった方がほとんどを占める一方で、早めに(がれきを)どけてあげれば、何とかなるような方もいらっしゃったのではないかと個人的には思っています。
その後も、5日と6日に私が検案した中にも、そういう方はおりましたので、一定数はいるのだろうと考えています。(死体検案書の)死亡時刻の欄に「3日ごろ」と書いた例もありました。
火災現場で(焼死体の状態で見つかった人の身元特定に向けた)DNA鑑定は、石川県警の科捜研になろうかと思います。ただ、焼損が激しい場合、DNAも分解されて、判定がかなり厳しい可能性もあるのではないかと予想します。
道路事情の悪さは、ご遺体の搬送にも影響しましたね。市内はともかく、少し離れた地域からは順調に運べない。隣の地区から10体近くのご遺体を持ち込みたいが、搬送を自衛隊に頼むべきかどうかという話になって、効率があまりよくない場面もありました。
遺体安置所となった体育館の状況ですが、ご遺体は納体袋に収納して安置されていました。袋が足りないという状況はなかったです。恐らく、石川県警が持っていた分だけでなく、支援のために入ってきた他県警がかなりの数を持ち込んでいたのだと思います。
5日午前くらいからは、葬儀屋さんがお棺を用意し、ご遺体を入れてご遺族にお返しすることができるようになりました。
(2024/02/09 12:00)