「医」の最前線 緩和ケアが延ばす命
死ぬための医療から生きるための医療へ
〔最終回〕緩和ケア 今とこれから
「緩和ケアを自分の専門にしたいと思います」―。そう周囲に告げた日。今から15年ほど前ですが、遠い昔のような気がします。20代だった私は言いました。「人は最後まで意識が保てて、死の直前に『ありがとう』『愛している』と家族らに告げ、すぐにガクッと亡くなるのではないんだ」「だから、そのような現実を多くの方に知ってもらって最善の方法を一緒に考えていくことが大切なんだと思う」
◇「看取るだけでしょう」
多くの仲間が応援してくれました。しかし、緩和ケアにつきまとう「まだ早い」という言葉が私にも投げかけられました。
緩和ケアを行う前、彼女は車椅子を押してもらう側でした。症状緩和後、彼女は他の患者さんの車椅子を押しました
「緩和ケアって看取るだけでしょう」「そんなのは、年を重ねて医師としての技術の習得が終わってからで遅くない」「医師としての旬の時期を、ただ見守るだけの医者になるなんてもったいない」
治療と並行した早くからの「緩和ケア」が盛り込まれた「がん対策推進基本計画」が作られる前の話です。しかし、筆者には緩和ケアが生きることを支える医療でありケアであるという実感がありました。それは、ある患者さん対する緩和ケアの経験にさかのぼります。
◇四つの苦痛
60代の肺がんの女性でした。難治性の胸水で呼吸困難も強かったです。ベッドに伏せりがちで、もともと家族関係も最悪に近い状況で孤独でした。彼女は家族から逃げるように仕事に励んでいましたから、その仕事が続けられなくなったことも痛烈な一撃でした。
まずステロイドや医療用麻薬を用い、息苦しさは劇的に緩和されました。これまで経験がないくらいの改善でした。
次に看護師とディスカッションを重ねました。「いかにしてご家族に関与してもらうか」。看護師が夫にケアをするように働きかけると、次第に夫婦間に雪解けのムードが漂いました。
連載第2回「乳がん患者がうつ発症 薬剤処方、自死を防ぐ」で触れたように、彼女には身体のつらさだけではなく、心のつらさと家族間のあつれき、仕事をできなくなったつらさ、そこから生じる「生きている意味がない」というスピリチュアルペイン、つまり四つの苦痛の全てが存在しました。
苦痛から解放され、より良く生きるための手段として緩和ケアは存在します
◇不仲の息子が一肌
この時、身体のつらさを皮切りに全てのつらさの緩和に向けて「できることは全てやろう」と他職種も含めてアプローチしたのです。
結果、最も不仲だった息子さんまで最後は母のためにと一肌脱ぎ、不可能とも思えた帰宅が可能となりました。そして再入院後に死期が迫ると、おそらくその病院で初めて終末期鎮静を行い(参照・連載第5回「ステージで異なる緩和ケア 副作用対策から鎮痛、鎮静」)、それまでになかった穏やかな経過を提供できたのでした。
原点であり、今も行い続けている緩和ケアの特性がそこに全て現れています。もちろん穏やかに最期を迎えるためのサポートも大切な役割です。けれども筆者は、この「より良く生きること」を支えるために緩和ケアを始め、行い続けてきたのです。
しかし、緩和ケアの普及はまだまだ途上です。
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