こちら診察室 介護の「今」
「病院には戻りたくない」 第8回
障害者、特に精神に障害がある人が地域で暮らすことはたやすいことではない。社会の偏見、近隣住民の無理解、公的サービスの不足、病状管理の難しさ、精神科病院の医師などの考え方、個人の意思や権利を軽視した行政施策、本人の無力感…。
さまざまな要因が絡み合い、精神障害がある人たちは、入退院を繰り返したり、長期間に及ぶ入院を余儀なくされたりしている。
就労継続支援B型での作業。部品の簡単な組み立てなど単純作業が多い
◇十数年も精神科病院に
関西の就労継続支援A型で働く30代の男性は、「私は、10年以上入院させられていました」と語り始めた。
就労継続支援A型とは、障害者総合支援法に基づいた雇用型の障害福祉サービスで、一般の企業への就職が困難な障害者に、就労機会の提供と就労訓練などのサービスを提供するものだ。
男性は18歳で統合失調症を発症、20代前半に親の希望で強制的に精神科病院に入院させられ、そのまま十数年、病院の外に出ることはなかった。
◇約束をほごにした精神科医
「閉鎖病棟に入れられ、縛られたりすることもありました。思い出したくない悲惨な日々でした」と、男性は眉をひそめる。
退院の話が出た際に、精神科の主治医は「お前が街で暮らすことができたら、逆立ちをして商店街を歩いてやるよ」と言い切った。
その医師は「在宅復帰は絶対に無理!」と、烙印(らくいん)を押したのだ。ところが、その数年後、男性は支援者の協力を得て退院。地域で暮らし始めて1年が経過した。
「在宅復帰は無理と言った主治医に会いましたよ。『先生、約束を果たしてくださいね』と言ったのですが、いまだに逆立ち歩きをやってくれません」と、男性は複雑な表情を浮かべながら笑った。
◇親の重しが取れる
男性は精神障害者たちが共同生活を送るグループホームに暮らし、歩いて通える距離にある就労継続支援A型の福祉工場で働きながら、「いつか納税者になりたい」と希望を語る。
詳細は語ってくれなかったが、入院中に親との縁が切れ、「退院させないでくれ」と病院にねじ込み続けていた親の重しが外れたのが、支援者と結び付くきっかけとなったのだという。
◇支援者の存在
中国地方で退院支援を続けている看護師がいる。精神障害者の相談支援事業所に勤務する精神科認定看護師Aさんだ。
Aさんの支援は、「もう一度地域で暮らしたい」と希望する人の声が届いた時から始まる。どのような形なら地域での生活が可能なのか。
人それぞれに、できること、できないこと、得意なこと、不得意なことがある。丁寧なアセスメントを通して、健康上の課題、生活能力、助けてくれる人の存在、本人の強み・弱み、希望などを把握・評価し、熟練支援者であるAさんが持っている多彩な引き出しの中から、最適な支援の形を見つけ出していく。
「生活の道筋を付けるまでが私の仕事。それ以降は、さりげなく見守り、困ったときに顔が浮かぶ存在になることです」
精神面に障害がある人は、気分の浮き沈みが大きい。Aさんは介入のタイミングを重視する。本人が援助を必要とするときに、すかさず手を伸ばすことができるよう、付かず離れずに寄り添っていく。
◇チャンスを捉え、理解者増やす
精神障害者が地域で暮らす際の最も大きな困難の一つが、地域住民が彼らに向ける冷たい視線だ。その視線が、本人のみならず、支援者への苦情になることがある。
例えば、「ごみ出しのルールを守らない」という苦情が寄せられたとする。
Aさんはこれをチャンスと捉え、「適切に対処すれば、苦情の声が大きい人ほど良き理解者になってくれます」と言う。裏を返せば、苦情の声が大きい人ほど、関心が高いと言えるからだ。もちろん、「適切な対処」には、支援者としての高いスキルや本人のコンディションに合わせた助言などが要求される。精神に障害がある人の支援には、高度なスキルに加え、デリケートな対応が必要になる。
Aさんの支援を受け、地域で暮らす人々を紹介しよう。
◇一人暮らしに募る寂しさ
Bさん(40代女性)は強迫性障害だ。5年間の入院中、執拗(しつよう)に手を洗い続ける日が多かった。アパートで一人暮らしを始めて2年になる。入院前にいた夫は、もういない。一人暮らしに寂しさが募る夕方、Aさんは三日とあげずBさんの部屋を訪れる。
Bさんの足の指には巻き爪がある。Aさんは巻き爪のケアを行いながら、「私が必要になったら声を掛けてね」と、優しく語り掛ける。
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(2023/07/18 05:00)