こちら診察室 介護の「今」

親亡き後 第17回

 ◇償いの人生

 息子が退院したのは、妻が他界した5年後。入院から10年がたっていた。それから十数年、父親は妻の遺言ともいえる言葉に従い、息子を懸命に守り続けた。

 その頃、父親は50代。仕事を辞めるには早過ぎたが、経営していた小さな会社を畳み、抗精神病薬の服用を続ける息子に残りの人生をささげる覚悟で生きてきた。それは、息子と妻に対する償いの人生であった。

 ◇できない相談

 「私が居なくなったら息子は暮らしていけない」

 その思いの結果が、冒頭の主治医との会話だった。自分が入院して息子を一人にするのも、自分が息子を残して先に逝くのも「できない相談」なのだ。

 そんなできない相談に乗ってくれたのは、病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)だった。

 ◇目の覚める問い掛け

 「息子さんを一人にすることはできないとお考えなのですね」

 MSWの問い掛けに父親はうなずいた。

 「ご自身の病気について、主治医はどのように言っていましたか?」

 「入院が必要だと…」

 「今、そのことでお困りなのですね」

 MSWの言葉が父親に届き始めた。

 「解決先を見つけることができましたか?」

 父親は、考えていることを告げた。

 「入院している間、息子を預かってくれる施設はないだろうか」

 「息子さんは、施設で暮らさなければならないほどの状態なのですか?」

 「そりゃ」と答え始めた父親は言葉に詰まった。

 「…い、いや、どうなんだろう?」

 MSWの問い掛けに、父親は目の覚める思いがした。

 ◇父親の決断

 「親と子の十数年に及ぶ生活の中で、自分は保護的になり過ぎていたのかもしれない」

 そう感じた父親は、息子の精神科の主治医に今の病状を聞いてみることにした。

 主治医は「薬を飲み続ける条件付きで、社会復帰が可能だ」と言った。

 「社会復帰ですか?」

 父親の脳裏には、息子が社会に出たのは、浪人時代のわずか半年で、それで病気になったという忌まわしい記憶が浮かんだ。だが、次の主治医の一言が父親の決断を後押しすることになった。

 「息子さんは、『お父さんの下を離れてみたい』と言っていましたよ」

 父親は、MSWが提案していた「働きながら住めるグループホーム」のことを、息子に持ち掛けてみようかと思った。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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