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早過ぎた帰宅 第15回

 一人暮らしの高齢者の増加が止まらない。2020年には、高齢者のうち、男性15.0%、女性22.1%が一人暮らしとなった。団塊ジュニア世代が高齢者となる2040年には、高齢者のうちの男性20.8%、女性24.5%が一人暮らしになると予想されている。男女を合わせると、約900万人に上る(内閣府「令和5年版高齢社会白書」による)。

早過ぎた帰宅のため、退院の翌日に再度救急搬送された(写真はイメージ)

早過ぎた帰宅のため、退院の翌日に再度救急搬送された(写真はイメージ)

 ◇要介護高齢者の一人暮らし

 政府は、「要介護状態となっても、住み慣れた地域で自分らしい生活を最期まで続けられるようにする仕組み」である地域包括ケアシステムを進めている。しかし、要介護状態となった一人暮らし高齢者が自宅で暮らし続けるのは、それほど容易ではない。高齢者一人ひとりの状態や事情に合わせた、柔軟できめ細かな支援が必要だ。

 ◇花が咲かなくなった庭

 高齢者は言うまでもなく、唯一無二の人生を生きてきた。どれ一つとして、同じ人生はない。それをつぶさに知っているのは、本人だけである。

 関西のとある温泉町に暮らす鳥貝雪子さん(76歳・仮名)に結婚歴はない。小さな居酒屋を営み、女手一つでコツコツとお金をため、30年ほど前に見晴らしのいい丘陵地の一画に家を建てた。40坪の敷地にこぢんまりとした平屋と手入れの行き届いた庭。庭の花壇には、四季折々に花が咲いていた。花が見られなくなったのは、何年前だっただろうか。

 ◇緊急入院

 ある年の冬、緊急通報装置の受信センターのアラームが鳴った。鳥貝さんからの通報だった。呼び掛けても応答はない。受信センターは、消防に救急車の出動を要請した。急行した救急隊員は、ごみの山に埋もれるようにうずくまっている鳥貝さんの姿を発見した。すぐに救急搬送し、そのまま緊急入院となった。糖尿病だった。

 ◇治療を終えて退院

 消防は、地域包括支援センターに連絡。病院に駆け付けた支援センターの職員に、鳥貝さんは「意識が遠のくようだった」と訴えた。糖尿病の合併症は、目と手指の自由を奪おうとしていた。

 救急病院での治療を終えた鳥貝さんが地域包括ケア病棟に転院したのは、入院から1カ月後だった。地域包括ケア病棟とは、急性期治療を終えた患者の自宅や介護施設への復帰に向けて、診療や看護、リハビリなどの支援を行う病棟で、最大60日の入院が可能だ。

 鳥貝さんは「一日でも早く家に帰りたい」と望んだ。入院中に介護保険の認定が出た。支援センターから要請を受けたケアマネジャーは介護保険の訪問介護、訪問看護、福祉用具貸与と、町独自の配食サービスをコーディネートし、転院後1カ月で自宅への退院が実現した。

 ◇救急搬送再び

 2カ月ぶりの自宅。ごみの山はそのままだったが、「やっぱりわが家はいいね」と付き添ったケアマネジャーに涙目で感謝の意を伝えた。ケアマネジャーは「ヘルパーさんにも手伝ってもらって、ゆっくりでもいいので住みやすいお部屋にしましょうね」と答えた。

 しかし、鳥貝さんの足腰は思いのほか弱っていた。翌朝、自力では寝床から起き上がれなくなり、鳥貝さんは緊急通報装置のボタンを押した。再度の救急搬送。鳥貝さんは自宅で暮らす自信を失った。

 ◇老健への入所

 今度は急性期病院での治療を終えると、老人保健施設(老健)への入所となった。

 「早過ぎた帰宅でした」と支援センターの職員は述懐する。

 一人暮らしの自信をなくしかけていた鳥貝さんだったが、老健の相談員が本音を尋ねると、「できることなら家に帰りたい」と答えた。

 そこで老健では、じっくり腰を据えて自宅への復帰に取り組むための、各種プログラムが立てられた。

 ◇老健での訓練

 運動機能の維持・改善を目指すリハビリに加え、家具を利用しての床からの立ち上がり、玄関の上がりかまち越え、浴槽の乗り越え、コンロの点火、洗濯機からの洗濯物の取り出し、物干しざお掛け、洗濯物畳み、財布からの小銭の取り出しをはじめ、自宅での一人暮らしを見据えた細かな訓練が積み重ねられていった。

 ◇自宅の大掃除

 一方で、自宅での生活環境の整備として、鳥貝さん同行の下に自宅での大掃除が行われた。老健の職員のほか、支援センターの職員やケアマネジャーも加わった。

 ごみの山を片付け、至る所にこびり着いたカビをきれで拭っていく。その横で鳥貝さんは、散乱していた衣類を一枚一枚、時間をかけて畳んでいく。捨ててよい物、悪い物、一つひとつを鳥飼さんに確認しながら、職員らがごみをより分けていく。

 そんな作業が都合4回にわたり行われた。

 ◇近隣住民へのあいさつ

 近隣住民へのあいさつも欠かせない。実は、最初の入院前に民生委員を通じて、ごみ屋敷と化した鳥貝さん宅に関しての苦情が行政に寄せられていた。「早く施設に入れたらどうか」と、近隣が一人暮らしの危うさを心配しているとも民生委員は言った。

 そんな近隣に対し、「自宅への復帰後も自分たちが丁寧に支援していくので、快く鳥貝さんを受け入れてほしい」と、支援センターの職員とケアマネジャーは頭を下げた。

 ◇自宅で過ごせた最期の日々

 それから数カ月して、鳥貝さんの自宅への復帰が実現した。自宅復帰に向けて職員たちの努力を目の当たりにした鳥貝さんは、その恩に報いようと自分の健康管理には十分に気を付けようと誓いを立てた。そして、自宅に帰って来た喜びをかみしめるように、毎日の生活を続けた。

 在宅サービスのスタッフの協力もあり、住み慣れた自宅が二度とごみ屋敷に戻ることはなかった。

 しかし、人の寿命には限りがある。それから2年後、身寄りがない鳥貝さんは、在宅スタッフにみとられながら静かに旅立った。

 要介護状態になった一人暮らしの高齢者が住み慣れた自宅で最期まで暮らすために、まさに手作りとも言える懸命の努力が、地域で続けられている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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