一流のレジリエンス~回復力~Dr.純子のメディカルサロン

遊び過ぎと働き過ぎの中間がベスト
~日仏比較「働く」を考える~ 国際ホテルマン生き方の流儀

 日本で海外旅行ブームが起きる少し前から、パリを拠点にして仕事をしてきた杉山(結婚後は佐野)淳さん。フランスでの仕事場のコミュニケーションなどについて、日本の職場の縦型コミュニケーションとの違いを取材したこともあり、この30年交流を続けています。日本に戻った国際ホテルマンの杉山さんにその人生の軌跡を聞きました。(聞き手・文 海原純子)


ホテルレセルブ日本窓口で

 ◇旅行ブーム、受験戦争に反発

 海原  杉山さんがパリの日航ホテルで勤務している時に初めてお会いしました。日本で旅行ブームが起きる以前です。その頃にパリに行こうと思われたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。不安はなかったのですか。

 杉山 高校が静岡の超進学校だったのですが、卒業してすぐに仕事がしたくて、というか、大学進学を目指している友人たちが単に「大卒」の肩書きが欲しいがためだけに、貴重な時間を試験問題の回答暗記に費やしているのがアホらしく見えて、書類選考だけのホテル学校に行きました。

 当時、もう団体旅行ブームがピークになり始めていて、子ども心にこれだけあちこち世界中に人が動く時代になれば、寝泊まりする場所が必要だから「これからは絶対ホテルの時代かな」とか「ホテルで仕事ができれば食いっぱぐれしないかな」ってうっすら感じている自分がいました。

 本音として「大卒になれば一流企業に就職できるから安全」「一流企業に勤めれば会社が大きいから安全」といった、とにかく自分の将来の安全な道だけを選んで受験勉強に励む同級生が、哀れに思えていたのです。そんな受験戦争に自分なりに反発していたようです。

 選んだホテル学校は当時では唯一スイスホテル協会と提携をしていたので、在学中に半年スイスのホテルで研修ができることもとても魅力でした。

 希望通り、ジュネーブで半年、ホテル研修をした際に大きなカルチャーショックを受け「これからはアメリカの時代だ」と感じて、卒業後は米国に支店を持つレストラン会社に就職しました。けど、米国に行く前にフランスでの仕事の話が入ったので、迷わずフランスに行きました。

 しかし、社会人になってからは、時々「やっぱり大学には行きたかったな…」と感じていたら、リッツに勤めて数年たったある日、社長室に呼ばれ「杉山、米国のコーネル大学のサマーコースに行ってみるか」と言われて、社長が学費から旅費まで全部払ってくれたんです。とってもうれしかったです。

 ◇ゼロからのフランス語習得

 海原 フランス語はもともとお得意だったんですか?

 杉山 実はフランスへの就職試験は英語だけだったので、フランス語は現地に行ってゼロから始めました。もともと勉強は大嫌いなのですが、パリのホテルでアフリカの人にバカにされたのがきっかけで、猛勉強しました。

 ご存知の通り、フランスはアフリカ、アジアにたくさん植民地を持っていたので、そこから国を捨ててフランスに移住している人がたくさんいます。彼らには帰る国がないからフランスで生きていくしかないのです。だから、本国では学校にも行ったことのない人間でもフランス語を話します。フランス語ができるかできないかは、まさに生きるか死ぬかです。パリのホテルに就職してすぐ、会話は通じなくても彼らが、僕たち日本人に対し「 フランス語もできないのに何しに来てるんだ」とバカにしているのだけは、十分理解できたのでした。

 一応、進学校の高校までしっかり勉強してきた自分が、どうして学校にも行ったことのない者にバカにされなければならないのか。これは僕にとって、最初で最後の最大の屈辱でした。 

 僕は絶対にフランス語をマスターして、こいつらをバカにしてやる、と心に決め、ホテル勤務の合間に毎日学校へ通い、死に物狂いで勉強し、1年半のパリ滞在でフランス語を自分のものにできました。

 海原 日本人に対する差別はどうでしたか?

ホテルリッツの玄関カメラに残る事故直前のダイアナ妃の姿。杉山さんは当時、唯一の日本人スタッフだった(1997年8月30日撮影、AFP=時事)

 杉山 日本人だからという差別感は全く感じなかったけれど、前述の通り、フランス語ができないから無視される差別感はありました。

 海原 とても大変だったことはありましたか。 

 杉山 やはりフランス語の習得が大変でした。渡仏して、1年弱で普通にフランス語が話せるようになると、自分の世界が何倍にも広がって毎日が楽しくて仕方なかったです。

 それからもう一つ、ニッコードパリからリッツへの転職の際、誰かの推薦があったからリッツから呼ばれたのですが、やはり伝統あるフランス人の運営するホテルだったので、経営陣、スタッフ共にフランス人が多く、日本人スタッフを雇うべき派と日本人はいらない派とに分かれていたようで、何度も面接に呼ばれました。別に大変だったことではないですが、それだけホテル側が初めての日本人正規雇用にとても慎重だったことを記憶しています。

 日本人顧客も増え、仕事は順調だったある日、ダイアナ妃が交通事故で亡くなられた時は、他のスタッフ同様ジャーナリストに追いかけられて大変でした。僕の場合、たった一人の日本人スタッフだったので、日本のあらゆるメディアが自宅にまでしつこく連絡してきて結構大変でした。でも、あの時は世界中のトップニュースが毎日僕の職場だったから、自分はまさに歴史の一幕の中を生きているんだってひしひしと実感していました。

 ◇バイク友達が語学教師

 海原 フランスの中でどのようにキャリアを積みかさね、周囲とのコミュニケーションを築かれたのですか。

 杉山 特に自分のキャリアを意識したことは一度もないけれど、気が付いたら世界一のホテルで仕事してたって感じです。今思うことは、日本人として常に誰にでも誠実であったことと、フランス人とちゃんとフランス語でコミュニケーションが取れていたことがよかったんだと思います。 誠実でいたから必ず誰かが見て評価してくれていたし、仕事中のフランス語の会話でも誤解がなくスピーディにできたから同僚との輪も広がっていたんだと思います。やはり僕の場合、東京で日本の会社で日本人と仕事をしてから渡仏したことも重要なポイントだと思います。つまり、いくらフランス語が上手でも、高級ホテルでフランス人と一緒に働きながら日本人客をハンドリングするためには正直、語学はツールのほんの一部だからです。

 海原 柔道やバイクなどたくさんなさってますね。柔道は教えたりも。

愛車はカワサキZR-7S

 杉山 高校生の頃からずっと、帰国後今でもバイク乗りなんです。たった一人パリに飛び込んで、ほんの1年でフランス語をマスターできたのは僕がバイカーだったからなんです。

 仕事の合間に語学学校に通って猛勉強はしたけれど、ストライキの多いフランスで、パリのメトロだけを頼りに職場のホテルと学校を行き来するのは無理だったので、モペット(ペダル付きバイク)を買って移動時間を短縮しました。それともう一つ、もっと大切なのは、セルジュとの出会いでした。彼は僕が住んでいたアパートのすぐ下のスーパの入り口で靴修理と合鍵作りをしているバイカーで、バイクの話から意気投合して、僕のフランス語の先生になってくれたのです。小話が好きなセルジュは、フランス語がほとんどわからない自分にいつも懲りずにフランスの小話をしてくれました。おかげで、日に日にヒアリングの力がついて、すぐに日常会話には不自由しなくなりました。

 文法はしっかり学校で習い、会話はセルジュから習い、自分でいうのも恥ずかしいですが、パリに住んでる日本人の中でもかなりハイレベルだったと思います。パリに住んでる日本人はみんな適当なフランス語使ってます。それでも会話は成り立つから、日本から来た人は、この人フランス語ペラペラって思ってしまうのです。

 ◇定年後の準備の違い

 海原 パリのジョルジュ・サンクで地位を築いていたのに日本に帰られたのはなぜ?

 杉山 パリに住み始めてからあっという間にほぼ30年が過ぎ去り、気がついたらもうすぐ50歳になる頃「もし毎日美味しいお味噌汁が飲めたらいいな」とホームシックになっていた自分がいました。その時たまたまパリで、今の日本人の妻との出会いがありました。突然、大和魂がよみがえったのかどうか自分でもよく分からないけど、日本男児である自分が日本人女性のことだけで頭がいっぱいになってしまいました。

 海原 そうなんですね。これまでのキャリアを50歳から転換するというのはチャレンジですね。これからのどんなふうに新しい生活を作ろうとなさっているのですか?

大学で柔道指導する

 杉山 今 興味があるのはフランスと日本の定年後のライフスタイルの違いです。帰国したばかりの頃、日本で定年離婚という言葉を初めて聞いてショックを受け、その原因にとても興味があったからです。フランスでは定年後の夫婦生活はとても充実していて、その時点で離婚という発想は存在しないからです。日本の定年離婚は実は、夫婦間の問題ではなく今の日本の社会の仕組み、特に仕事と家庭との関係に問題があることが分かり、1日でも早く、定年離婚という言葉が日本から消えてくれることを祈る今日この頃です。要するに、一般的に日本人は働きすぎだから定年する時に、その後何をするかの準備が全くできていないのです。それに比べバカンスの多いフランスでは、ほとんどの人が定年後何をして遊ぶかしっかりプランができています。かと言って、フランスのシステムが全く優れているというわけではなく、僕の感覚からすると、フランス人は遊び過ぎ、日本人は働き過ぎ、だから 中間があるとベストだと最近感じます。

 それと僕は、音楽(サックス)、柔道、バイクが趣味なのですが、近い将来、バイクでフランス各地に散らばっているホテル仲間に会いに行くフランス一周ツーリングを計画しています。それと、パリとアフリカにいる柔道仲間に日本を知ってもらいたいので、彼らとの交流を続けて行きたいです。できれば人前でサックスが吹けるようになりたいです。

 海原 いいですね。サックス、ぜひライブでご一緒したいです。



講道館2段、フランス柔道連盟2段

 杉山 淳 カナミ(株)専務取締役、ラレゼルブホテルズ日本窓口。ホテル学校を卒業し、ホテルニューオータニに勤務後、ニッコードパリへ転職のため渡仏。レストラン部、宿泊部など8年勤務した後、日本人として初めてリッツパリにセールスマネージャーとして入社。1999年フォーシーズンズホテルジョルジュサンク開業準備室に抜擢され、2010年まで日本アジア営業支配人。11年に帰国、自社カナミ(株)を立ち上げ、コンサルティングなどを通してフランスとの架け橋に。趣味は音楽(サックス)、柔道、バイク。


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