女性医師のキャリア

多様な背景を持つ医師が求められる時代
~SE、高校講師、留学、回り道をしたからこそ分かること~

 医学部の学生は現役で合格し、6年で卒業して医師国家試験に受かれば24歳で医師となる。杉原正子医師は4年制大学の数学科を出て、システムズエンジニア(SE)、国語教師、海外留学を経て、医師になる道を選んだ、いわば「回り道医師」。さまざまな経験を積んだからこそ、医療界に必要なものが見えてくる。海外の医師養成の仕組みや医療者の労働問題について聞いた。

杉原正子医師

杉原正子医師

 聞き手:白川礁(帝京大学医学部5年)、構成:稲垣麻里子 企画:学生団体メドキャリ*

 杉原正子氏プロフィル

 独立行政法人国立病院機構東京医療センター精神科医師 
 早稲田大学教育学部理学科数学専修卒業。日本IBM(株)にてSEとして勤務し、5年半で退職。早稲田大学大学院教育研究科国語教育修士課程修了、私立高等学校非常勤講師、ハーバード大学大学院比較文学科留学(Special Student)、東京大学大学院総合文化研究科を経て、2010年山梨大学医学部医学科卒業。

 ◇人間と向き合う仕事に就きたい=SEから国語教師に

 数学が好きだったので、早稲田大学の教育学部の数学科に入り、ゼミでは人工知能理論を学んでいました。大学時代は勉強よりもオーケストラに没頭する日々を送り、卒業後は自然な流れでSEの道に進みました。自由に考えたり意見を言ったりすることが好きな人間なので、日本企業よりも外資系が合っていると思い、日本アイ・ビー・エム(株)(IBM)に就職しました。IBMでは多くのことを学び、会社員生活は充実していました。ただ、お客さんと接するのは楽しいと感じる一方で、商品である機械をどうしても愛せないことに、徐々に気付いていってしまいました。「自分は機械よりも人間と向き合う仕事の方が向いているのではないか」と思い始め、5年半で退職しました。

 学生時代から日本文学が好きで、IBMの時に通信教育で国語の教員免許を取得していましたので、退職後は早稲田の大学院に入り、国語国文を学びながら、高校の非常勤講師として現代文を教えていました。

留学先のボストンにて、ホスト・スチューデントのErickaと=杉原医師提供

留学先のボストンにて、ホスト・スチューデントのErickaと=杉原医師提供

 ◇闘病記との出会いが医療への興味に変わる

 勤務先の高校では、しばらくたってから放課後などに医療系の大学を目指す生徒たちに向けて小論文対策の講義や添削も行うことになりました。医療系学部の小論文では、臓器提供や安楽死のような重い内容について、しっかりとした意見が求められます。それまで医療について勉強をしたことがなかったので、教材として、また、自分の参考資料として闘病記を読み始めたところ、興味深くて止まらなくなり、100冊、200冊、300冊と早稲田の大学図書館で絶版になったものまで探して読みあさりました。そして、ふと我に返り、「どうして自分はこんなにも闘病記が好きなのだろう」と不思議に思ったのです。

 ◇母から教えられた弱い人を支える気持ち

 母は私が生まれる前から心臓の弁膜症を患っていて、ハイリスク分娩(ぶんべん)センターで私を出産しました。体が弱かった母は娘には「とにかく心身健康であってほしい」と願っていました。母は私が早稲田大学の4年生の時にスキルス胃がんで亡くなりました。その時から随分時間はたっていましたが、闘病記を読んでいくうちに、「自分も患者を抱える家族だった」ということに、その時、初めて気付いたのです。

 0歳の時から病気の母がいつも一緒で、病気を抱える家族との生活が当たり前だったこと、また、母の症状が重くはなかったことから、健常者と障害者や患者を区別するという意識がなく生活していたのだと思います。医師という職業において最も大切なことの一つは、病気を抱える弱い立場の人をどのように支えるかを考えることです。私の場合、小さい時からの経験の蓄積に改めて気付くことを契機として、「医師になりたい」という思いが一気に強くなり、一般入試で山梨大学医学部に入学し、医師になりました。

 ◇医師として患者さんの人生に深く関わりたい

 精神科を選んだ理由はいろいろありますが、まず、患者さんの人生に最も深く関われる診療科だと思ったからです。さらに一つの診療科にとどまることなく、他の科の患者さんとも接したいという思いがあり、さまざまな身体疾患を持つ患者さんに関して精神面の助言を行う、コンサルテーション・リエゾン精神医学にも興味がありました。

 どの診療科の医師でも、その診療科でどのような症状・疾患にも対応できる能力と、専門性や得意な分野の両方を持ちたいというジレンマがあると思います。専門性は、その医師のアイデンティティーとも深く関係するからです。私もできれば両方を目指したいと考えています。

 現在、東京医療センターで精神科の一般診療を広く行いながら、専門外来「アルコール何でも初診」やアルコール使用障害(アルコール依存症)の2週間短期入院プログラム(TAPPY:Tokyo Medical Center Alcoholic Program with Physicians)の運営も行っています。将来的には、イタリア精神医療の見習うべき点を取り入れて、アルコールの患者さんだけでなく、精神科のさまざまな患者さんの社会復帰や自立を進めていきたいですね。

 ◇大企業で学んだ人脈づくりが医療にも役立っている

 IBMの入社式で出会った、当時の社長だった椎名武雄氏のメッセージが印象的で今も心に残っています。

 「仕事の能力というのは 大きく分けて二つあります。一つは自分独りだけでできる能力、もう一つは、人脈をつくる能力です。別の言葉で言うと、自分独りでどこまでできるのかを判断し、自分だけではできないことを誰に相談すればいいかをとっさに判断できる能力と、そのときに相談したり連携したりできる相手をどれだけ持っているかという能力です。後者の方がはるかに重要です。IBMでは人脈づくりを重視した教育を行っています」

 確かにIBMは、人脈づくりのための教育研修に力を入れており、ソフトウエアごと、営業とSE、全国の同期など、さまざまな人員構成での社内研修を受ける機会が何度もありました。この時に学んだ人脈に対する考え方や姿勢が、SEの時以上に医師となった今、医療の現場で大いに役立っています。私は医学部の合格通知を受け取った直後から、所属組織の内外を問わず、さまざまな勉強会に足を運んできました。

 例えば、大きな病院の場合、院内でも自分の診療科の医療者以外は接点が少なく、顔も知らないということが往々にしてありますが、治療するに当たっては、他科の医師との連携や多職種連携、組織間連携は大変重要です。地域医療においてもネットワークづくりが必要とされます。

 現在、担当しているアルコールのプログラムもいろいろな診療科の医師や多職種の方に関わってもらっています。消化器内科医には「お酒が身体に与える影響」について、歯科口腔外科医には「口の中のがん」の話、総合内科医には「禁煙」の話、リエゾン看護師には「アルコール性認知症」の話、臨床心理士には「マインドフルネス」の話や実習をしてもらっています。

 公式、非公式にかかわらず、組織内外の人脈、海外の人脈、コツコツとつくり上げてきた人脈はすべて重要です。患者さんにとっても、自分独りよりも多くの人に関わってもらった方がモチベーションは上がります。退院するとすぐにお酒を飲んでしまうような重症の患者さんに対しても、多方面から知恵を出し合うことで思いも寄らないアイデアが生まれることがあります。

 ◇複雑な社会への対応に必要な医療者の多様性

 近年、医療の進歩、高齢化、核家族化、コロナ禍などで患者さんをめぐる環境や問題が複雑で多岐にわたっており、臨床現場では多職種と連携しながら診療に当たることの必要性が高まっています。今の日本の医療や医療者にも、ひたむきさなどの良い点はたくさんありますが、前職で他の職種を経験した医療者が、自分たちの経験をみんなで共有することができれば、患者さんとの関わり方も変わってくるかもしれません。医師をはじめ医療者が多様化すれば、患者さんとの対話もより柔軟になり、相互理解や連携の応用力もより高まるのではないでしょうか。

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