現代社会にメス~外科医が識者に問う

結婚で名字を変える「違和感」が政界や経済界を動かす大きな力に 一般社団法人あすには代表理事 井田奈穂さん(上)

 ◇患者から〝偽医者〟呼ばわり

 河野 まさに急展開ですね。夫婦同姓は医療界においてはどんな問題がありますか。

 井田 医師の改姓は医籍と医師登録を別々に変更する必要があります。数年前に医籍の登録名を変更した消化器内科医の方は、名前を変えると学会発表や研究論文等、実績が引き継げず業務に支障が生じるため、その方は変更後、旧姓を通称として使用していました。ところが、旧姓は当時の医師等確認検索システムで検索されないため、医師名を検索した患者さんから“偽医者”の疑いを持たれたそうです。誤解が解けた後もその患者さんは外来に来なくなってしまいました。

 医師免許証の書き換え交付申請を行えば新姓と旧姓を併記することができるのですが、医師免許は医籍名が変わっても書き換える義務がなく、保険医登録証や臨床研修修了証書も全部書き換えると大変な手間が発生※3します。システムによって旧姓と新姓の不一致が起こり、トラブルを招く恐れがあるので速やかに法改正をお願いしたいということでした。

井田奈穂さん

井田奈穂さん

 また、結婚前から多くの論文を執筆、研究実績を重ね、海外勤務されている研究者の話では、姓は自分のアイデンティティーでもあるので、入籍後は旧姓使用を考えていたところ、職場の事務手続きや研究会の発表、資格の名義と受賞商品の受け取り、地元での広報活動等、すべてリーガルネームにされてしまい、過去の実績が分断されたそうです。

 学会発表で飛行機やホテルを予約してもらう時も毎回訂正が発生し、職場だけでなく現地でも混乱を招きます。研究成果は通称で賞金の登録名だけがリーガルネームになっていたり、地元での教育普及活動も身分証を提示し、その都度、説明が必要になります。海外では通称使用の概念がないため理解してもらうのも一筋縄ではいきません。

 他にも、旧姓で研究してきた修士論文提出の際、通称使用が認められず受け取りを拒否され、離婚届を出して論文を提出したという女性研究者のケースもありました。政情不安の国に出向いたり、軍事機密を扱ったりするような研究機関に勤めている女性技術者で、IDと自分のビジネスネームが一致しないと身の危険があり、パスポート更新のたびに離婚と再婚を繰り返して現在6回目の事実婚中という方もいました。

 国内でも社員の登録システムは多くの場合、社会保険や納税記録が連携し、氏の欄が1カ所のみ、戸籍姓でしか登録できません。私の場合も旧姓使用の期間はずっと、結婚・離婚・再婚の遍歴や配偶者の名字など、仕事でしか関係のない相手にプライバシーを開示しなければならず、苦痛を感じていました。他にもTOEICの受験は旧姓使用不可、資格試験や大学の学位も名字の変遷を戸籍謄本の提示で証明する必要があります。通称が使用できるよう交渉し、何とか認めてもらっても手間やトラブルが頻発し、海外で活躍している人だけでなく多くの人が通称使用の限界を感じているのです。

 ◇制度不備による社会的損失

 河野 事実婚を選択した場合、問題はありますか。

 井田 病院によっては医療行為の同意書のサインを断られ、病状説明が受けられません。生命保険の代理請求人に指定できない、死亡時も配偶者として相続できないというリスクもあります。実際に当事者になってみると、常に不安が付きまといます。相続では公正証書を作って遺言書を作ったとしても相続税がかかります。配偶者居住権がなく一緒に住んでいた家を追われる可能性もあり、二人で築いた財産も相手方親族に遺留分を求められ、裁判にもなるケースもあります。

 また、特許は戸籍姓でしか登録できません。海外の大学に赴任する場合、自分のキャリアの分断を避けるために事実婚のままでいると「公的な関係ではない」として家族の配偶者ビザが出ず、帯同できないケースがあり、研究の幅が狭まります。

 日本は研究者の数が減少しており、女性研究者に期待がかかっているにもかかわらず、この状態を放置することで研究職と家族を持つことの両立が困難となり、国籍変更を考える研究者も少なくありません。社会的損失は極めて大きいと言えます。

 聞き手・企画:河野恵美子(大阪医科薬科大学 医師)、文・構成:稲垣麻里子

 井田奈穂(いだ・なほ) 一般社団法人あすには 代表理事。18年末に立ち上げた当事者団体「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」を前身に、23年法人化。約800人のメンバー登録者と、地方議会・国会に選択的夫婦別姓の法制化を働き掛けている。25年までの法制化を実現するため、24年10月ジュネーブで開催の国連女性差別撤廃条約に基づく日本審査にNGOとして参加予定。

 河野恵美子(こうの・えみこ) 大阪医科薬科大学一般・消化器外科医師 01年宮崎大学を卒業。06年に出産し、1年3カ月の専業主婦を経て復帰。11年「外科医の手プロジェクト」を立ち上げ手術器具の研究を開始、15年に2人の女性外科医と消化器外科の女性医師を支援する団体「AEGIS-Women」を設立。20年に内閣府男女共同参画局「令和2年度女性のチャレンジ賞」を受賞。22年「手術執刀経験の男女格差」の論文をJAMA Surgeryに発表。同年、パブリックリソース財団「女性リーダー支援基金~一粒の麦~」を受賞。厚生労働省医学部生向け労働法教育事業の委員。TEDxNambaにも出演。

*1 2023年国立社会保障人口問題研究所「家族と性と多様性にかんする全国アンケート」

https://www.ipss.go.jp/projects/j/SOGI2/ZenkokuSOGISummary20231027R1.pdf

*2 「企業」における社員の姓(氏)の取扱いに関する調査結果 および 「女性エグゼクティブ」の姓(氏)の取り扱いに関する緊急アンケート

https://www.keidanren.or.jp/policy/2024/044_kekka.pdf

*3 「女性医師支援センター」「旧姓のまま働きたい場合はどうしたらいい?」

https://www.med.or.jp/joseiishi/article039.html

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