女性医師のキャリア

外科医がハマった離島の面白さ
グローバルな視点で格差に挑む

 宮古島市は沖縄本島から南西約300キロ、六つの諸島合わせて人口約5万5000人の離島。15年前、宮古島市唯一の総合病院に研修医として赴任した浅野志麻医師は離島特有の文化や風土、人とのつながりに心地よさを感じて定住を決意。外科医として地域の実情に即した医療を実践する傍ら、外科医療の地域格差をなくすべく、グローバルな視点で研究や活動に注力する。

 「人と生活を診る」医療の魅力や海外の地域格差対策、外科医が地方で働く意義について語ってもらった。

浅野志麻医師

浅野志麻医師

 ◇在学中に方向転換、医学部へ

 子どもの頃からものづくりや機械いじりが好きでした。中学生になると海外に憧れ、大学は国際政治や経済学が学べる東京の大学に入学しました。英語が堪能で積極的な友人に囲まれ、鹿児島から上京したばかりの頃はカルチャーショックの連続でした。高校時代に薬剤師の父親から医学部を勧められていましたが、当時は自信がなく自分には無理だと諦めていました。都会の大学で学びもまれる中で、「やはり医学の道に進みたい」という気持ちが強くなり、在学中に猛勉強し、大学卒業後に都内の医学部に入学しました。

 自らの手で治療ができる外科を医学部時代から志望し、卒業後の研修先は父親の実家で子どもの頃からよく訪れていた沖縄を選びました。米国との関係が深い病院で働くことで海外とのつながりを持ちたいという期待もありました。ハードな研修医生活の中で、沖縄に訪れた学生時代の友人と結婚。在宅ワークの夫が家事を快く引き受けてくれたことで仕事に専念できました。

 ◇日本の医療の素晴らしさを実感

 研修中、ハワイ大学医学部での1カ月間の研修プログラムに参加しました。日本の医療技術は世界的に見ても決して引けを取らないと聞いてはいましたが、外に出たことで日本の医療技術の素晴らしさを改めて実感できました。例えば、日本では細かく膜に沿った解剖やリンパ節郭清を意識して手術を行います。一方、ハワイではそこまで細かく切除することなく手術し、化学療法でも治療するという手術に対する手法や考え方に大きな違いがありました。どちらの治療が正しいということはありませんが、日本の医療技術の精度の高さや細やかさが自分には合っていると思いました。

 米国人の効率的でメリハリのある働き方も印象的でした。とにかく朝が早く、終わる時間も早い。カフェテリアで買った朝食を食べながらカンファレンスが始まり、夜は定時になると当直医にさっと引き渡して退勤するというのが見事にルーティン化されていることには驚きました。

沖縄県立宮古病院

沖縄県立宮古病院

 ◇「人として向き合う」医療を実践

 沖縄では後期研修の最終学年の1年間は離島勤務が義務付けられています。赴任先は自分で選べず、上司から「宮古島」と辞令が出されたときは、正直ネガティブなイメージしかありませんでした。当初は1年で沖縄本島に戻る予定でいましたが、宮古島の居心地の良さから抜けられず、15年経た今もなお住み続けています。

 宮古島に定住した大きな理由は二つあり、一つは住んでいる人たちの暮らしをもっと知りたいと思ったことです。外来での診療を通して患者さんの暮らしぶりが分かるのですが、宮古島で診療を始めた頃、ある患者さんにがんが見つかり、治療の説明をしている時、「治療よりも畑に行きたい」と言われました。自分の体のことよりも畑のことが気になるという感覚を最初は理解できませんでした。その土地のその年代のものの考え方があり、医師がそれを理解し、治療だけでなく患者さんの暮らしを応援する。自分が活躍できるフィールドが目の前に広がっていると思えるようになりました。病気を診るだけでなく、地域を知り、人として向き合う医療の楽しさを知ることができたのは都会ではできなかった経験です。

 ◇狭い社会の中の人とのつながり

 もう一つは小さな社会ならではの人とのつながりです。地域の誰かとどこかでつながっていますので、救急搬送された人が知り合いの家族の親戚だったり、友人の知り合い同士が知り合いだったりと必ずどこかでつながっています。こういうことは沖縄本島でもまずありえません。都会に限らず、一度会った人と二度と会わないことはよくあることですが、ここでは一度出会うといい意味でも悪い意味でも強烈なフィードバックがあります。もちろんそういう中で生きていくことの煩わしさはあります。治療が残念な結果で終わった患者さんの家族とお店でばったり会って悲しい思いをすることもありますが、治療がうまくいった時はそれを超える喜びや感動があります。

 いつも誰かに見られていることで背筋がピンと伸び、それが患者さんに最善の治療を提供するためのパワーにもなっています。


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