現代社会にメス~外科医が識者に問う

抜け穴だらけの医師の働き方改革
~医療現場の「真の声」届くのか~ ワーク・ライフバランス 小室淑恵さんに聞く(下)

 医師の働き方改革が2024年4月から一足遅れで本格的に施行され、医師の超過勤務には原則として年960時間の上限が設けられた。当直や休日勤務が労働時間から除外される「宿日直許可」、知識習得や技能向上のための「自己研さん」をどのように扱うかについては最後まで議論が続けられた。「患者の命を守る医師が長時間労働で命を落とすことはあってはならない」と2023年12月に発足した「医師の過労死家族会」。そのサポーターを務める小室淑恵さん(ワーク・ライフバランス社長)と、厚生労働省医学部生向け労働法教育事業の委員でもある河野恵美子医師の対談第2弾では、勤務医の労働環境の実態や課題に斬り込んだ。

小室淑恵さん

小室淑恵さん

 ◇病院経営者が勤務実態改ざん

 ―医師の働き方改革が施行されても、宿日直や自己研さんの扱いが曖昧なままでは「制度自体が骨抜きにならないか」「結局何も変わらず給料だけ下がり、かえって環境が悪化するのではないか」という声も多く聞かれます。2022年に神戸市の病院で専攻医だった高島晨伍(しんご)さん(当時26歳)が長時間労働により自死するという悲惨な問題が起きました。その後も医師の過労死がいつ発生してもおかしくない過酷な勤務環境は続いています。小室さんは医師の過労死家族会にサポーターとして関わっていらっしゃいますが、こうしたことがなぜ起きるのか、二度と起こさないためにはどうすればいいのかについて、お考えを聞かせてください。

 小室 本当に憤りを感じます。おっしゃるように医師の働き方改革で重点を置かなければいけないのは宿日直許可と自己研さんの扱いなのですが、この2点においてはほぼ抜け穴のままです。医師が夜間や休日に在院する当直や日直は、宿日直許可を取れば労働時間として扱われず、時間外労働や休憩時間の規定から除外されます。

 医療現場では、一部の病院で数年前から「深夜に患者が運び込まれても記録するな」と言われるというケースも聞きます。記録すると深夜勤務がある病院ということになり、宿日直許可が下りないからです。勤務している実態があるのに深夜の急変や外来対応が少ない「寝当直」扱いにし、勤務を記録させないのは明らかに改ざんです。病院経営者は重い罪に問われるべきなのですが、ペナルティーはありません。宿日直許可を出す側の労働基準監督署も病院経営者に忖度(そんたく)し、一蓮托生(いちれんたくしょう)で許可を出していると思われても仕方がない状況です。

 ◇「自分たちは労働者ではない」という意識

 小室 このようなことが日常的に起きて、人の命が失われている医療業界のあしきルールを変えるためには、本気になって働き掛けを行うことが急務です。問題を大きくしている要因の一つが、医師側に「自分たちは労働者である」という認識がないことです。「時間管理にはなじまない高度な仕事をしている」「縛られたくない」「患者のためには時間をかけて当然」と考えているのかもしれませんが、結果的に心身の健康を脅かし、時間のコントロールができなくなり、ともすればミスが起こりやすいリスクの高い状態に陥っているのです。

河野恵美子医師

河野恵美子医師

 かつて労働時間の上限が厳格ではなかった頃の民間企業の経営者は医師と同じような感覚でした。時間が青天井であれば、「成果を1センチでも高く積み上げた方が勝ち」という考え方がずっとありました。けれども労働時間に上限規制ができたことで、ゲームチェンジしたのです。限られた時間をうまく使い、チームメンバーの力をフルに活用して、連携することで成果を挙げるという形式に変更。新しいルールにきちんと向き合いながら、さまざまなことをクリアしてきました。

 行政が時間管理に関する制度を医療に対してだけ甘くしてきたのは、一見、国民に安定した医療を提供するためのように見えますが、結局は医師を目指す若者が激減したり、時間外勤務が多いとされる診療科を避けたりする医師が増えたことで必要とされる分野の医師が不足する事態を招いています。本当に罪深いと思います。むしろ国民の生活に欠かせない病院だからこそ、メディアにも徹底的に追求していただき、安易に宿日直許可を出している労働基準監督署に対してもしっかりと目を光らせる必要があります。

 ◇多くの学会出席は必要か

 ―上限規制を厳しくすることで医師の過労死問題が解決すると思われますか。

 小室 例えば、高島さんは診療の他に先輩の論文執筆や学会の出席代行に追われ、「本来の専門性を高めるための自己研さんをする時間が全く取れない」と死の直前に家族に伝えていました。にもかかわらず、月間207時間の残業のうち137時間は病院に自己研さんと判断されていたのです。

 専門医資格を取得してキャリアアップをするためには決められた数の論文を提出し、決められた学会に出席する必要があります。「スタンプラリー」とやゆされるほど、医療学会への出席に多くの時間を費やさなければなりません。試験以外にもさまざまな要件が課されています。果たして本当にそれで専門性が高められるのでしょうか。

 もし上限が決まっていたら、こんなに時間と手間がかかって、本質的な学びにつながらない仕組みを放置してよいのかという議論がとっくに起こっているはずです。スタンプラリーは絶対にさせられないでしょうし、医療業務の成果に直結するような本質的な学びに絞れたはずです。日本専門医機構による今のような「膨大な時間がかかるハードルを用意して、若手を不必要に苦労させるようなやり方」を許さなかったはずです。上限を決めてこなかったことは日本の医療制度における最大の落ち度だと言っていいでしょう。

 民間の企業は労働時間の上限ができてからは「成果につながる本質的なものは何か」を議論し、それが従来と変化している場合は過去の慣習と決別してきました。日本の行政が医療界のためと思い、2024年まで法改正適用を引き延ばした結果、見直しがなされずに後れを取ってしまったのです。医師の働き改革で議論が巻き起こるのは分かりますが、始めないことには仕組みは変わりません。


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