医学生のフィールド

ドクターヘリから診療船まで、見て感じて学ぶ地域医療
~東京女子医大「地域保健研究会」~

 医療機関がなく、医療を受けられない人たち。50年以上も前、その人たちのために東京女子医大の医学生7人が立ち上がり、ボランティアで健康管理をサポートする「無医地区研究会」を発足させた。この精神が今も受け継がれ、「地域保健研究会」として活動を続けている。地域で何が起きているのか。実際の地域医療はどういうものか。地域保健研究会で2018年8月まで1年間、代表を務めた宮城妃奈乃さんと、副代表だった宮代麻由さんに話を伺った。

(聞き手・文 医療ライター・稲垣麻里子)

無医地区研究会の第1回活動報告書

無医地区研究会の第1回活動報告書


 ◇「無医地区」でのボランティアが原点

 ―活動はいつ始まったのですか。

 宮代さん 1964年の研究会発足当時、国内には「無医地区」という、医療機関がなくて医療が受けられない地区が全国に点在していました。それに関心を持った本学の学生7人が岩手、静岡、茨城、長野、新潟各県などを拠点に、寄生虫予防の普及を目的とした無料健康診断や、母子保健衛生の向上を目的とした母子健診をボランティアで行っていたというのが原点だと聞いています。

 活動に当たって、学生たちは本学の寄生虫教室、小児科教室、衛生学教室に足を運んで技術の習得や健診内容の研究を行っていたようです。最終的に、地域住民の公衆衛生に対する意識の向上や住民主体の保健運動の推進を目的として活動を行っていました。

 ―社会的に大変意義のある活動ですね。主体は学生だったのですか。

 宮城さん 岩手県の2カ所の無医地区を、活動実践の場所として、そこから、岩手県庁や現地役場に足を運び、行政の許可を取るなどし、現場調整も全て学生の手で行っていました。

 また、音楽会開催などによる資金調達、製薬会社からの医薬品の援助など、活動を継続するために何が必要で、そのためにどうすればいいかを自分たちで考えながら行っていたようです。

 その後、国内の医療の普及で無医地区が減少していきました。地域医療は無医地区に限らず、どんな地域にも必要とされていることから、1989年に「無医地区研究会」から現在の「地域保健研究会」に改名しました。

 現地に赴き、自分たちの目で実際に見て、学び、考える姿勢を受け継ぎ、日本各地の医療の実態や課題をリポートし、解決に向けて考える活動を行っています。

日本唯一の診療船「済生丸」

日本唯一の診療船「済生丸」


 ◇夏合宿は瀬戸内海で診療船

 ―具体的には、どのような活動ですか。

 宮城さん 主な活動は、夏と春の長期休暇に行っています。夏はドクターヘリの見学と夏合宿があります。夏合宿は、地域医療の臨床現場を見学します。2018年の夏は香川県の離島に行きました。

 香川にある済生会病院には、済生丸という日本唯一の診療船があり、瀬戸内海周辺の岡山、香川、徳島、広島の4県が共同で保有していて、この四つの県を回ります。県によって、検診だけに利用したり、出張診療所として利用したり。

 合宿では、実際に済生丸に乗り、香川の櫃石島の乳がん検診、胃がん検診の現場を見学させていただきました。


 ―実際に行ってみて、離島での医療はどうでしたか。


 宮城さん 18年の夏合宿で直島(香川県)の診療所を見学したのですが、常勤医師が1人はいないといけないので、医師は2年間、交代で島に移住します。エコーとX線は使えますが、胃カメラが使えない。その状況で、救急艇やドクターヘリを呼ぶかどうかの決断が求められます。救急艇はどの離島にもありましたが、救急車はなく、普通のバンを改造して使っていました。

 離島に赴任してきた医師は、患者さんの話をしっかり聞き、患者さんも医師に対して絶大な信頼を寄せているという印象を受けました。医師以外でも、救急救命の資格を持っている事務長は、島の医療を良くしたいという思いが強く、医師の働きやすい環境づくりを日頃から意識的に行っています。

 できるだけ医師の負担を軽くするために、スタッフと一緒に救急救命の訓練も積極的に行います。また、奄美のある島では、常駐している看護師に何でも相談していました。周りの人たちや医師に代わるコメディカル(医師の指導の下で業務を行う医療従事者)の役割はとても重要だと思いました。


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