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寿命延びた筋ジストロフィー
日々懸命に生きる患者たち

 「世界希少・難治性疾患の日(RDD)」に当たる2月の最終日、啓発活動の一環として東京タワーがライトアップされた。厳しい運命と闘いながら、明るく、前を向いて生きていく患者たちがいる。彼らには、周りの理解と支えが不可欠だ。希少・難治性疾患の一つ、筋ジストロフィー患者の声を聞いた。

「世界希少・難治性疾患の日」に合わせてライトアップされた東京タワー

 ◇タンパク質を作れない

 筋ジストロフィーは、遺伝子の変異が原因でジストロフィンというタンパク質をうまく作れなくなり、細胞機能を維持できなくなる病気だ。それが筋肉の変性や壊死(えし)につながり、さまざまな機能障害を招く。

 「健康な人であれば、筋肉が壊死しても再生する。遺伝子の変異で筋肉の細胞膜を支えるタンパク質(ジストロフィン)が欠けると、病気になる。呼吸の障害や心不全、腎不全など重い症状を招き、消化管機能の障害も起こりやすい」

 国立精神・神経医療研究センター臨床研究支援部の中村治雅部長は、筋ジストロフィーについてこう話す。

 筋ジストロフィーは、2~5歳で歩くことが難しくなる。その後、症状が進み、呼吸不全や心不全に陥る。過酷な病気だが、寿命は延びている。1991年ごろには25歳までに多くの患者が亡くなっていた。その後、人工呼吸器による呼吸補助や心不全対策で寿命が延び、30歳を超えるようになった。2013年の時点では、全国の筋ジストロフィーの病棟に、「デュシェンヌ型」とされている患者で40歳以上の人が118人、入院していた。

中村治雅部長

 治療法は以前、筋細胞の壊死を抑える副腎皮質ステロイドとリハビリしかなかった。現在、治療薬には、プロスタグランジンDや抗ミオスタチン剤などがある。プロスタグランジンDは運動機能の低下を抑制する。筋肉には適正な量があるため、筋肉の作成を抑えるタンパク質がある。これを阻害することで筋肉の発達を促進させるのが、抗ミオスタチン剤だ。さらに、「オーファンドラッグ」と呼ばれる希少性疾患用の医薬品開発も進んでいる。

 ◇進歩する治療法

 治療法は進歩している。中村部長が紹介したゲノム編集は、生物が持つゲノムの特定の塩基配列(DNA配列)を、計画して変化させる。その中で「エクソンスキップ」は、最近、筋ジストロフィーで保険承認された核酸医薬品や遺伝子改変技術などの方法を用いてジストロフィン遺伝子上の「エクソン」という部分を読まなくする(スキップする)。

 「変異部位に加えて、変異していない遺伝子も含めてエクソンスキップで読み飛ばすことで、読み取りが可能な『インフレーム』となり、遺伝子が読まれてタンパク質ができる。不完全だが、機能的なジストロフィンを発現させる」

 下肢に装着して歩行を支援するロボット(HAL)も患者の助けとなっている。さらに、中村部長はiPS細胞から筋細胞へと分化させるiPS細胞治療に強い期待感を示した。

 ◇教師や級友の支えで

瀬戸優磨さん

 発症頻度が最も高い筋ジストロフィーが、デュシェンヌ型だ。この病気を患う瀬戸優磨さんは、29歳。幼稚園から小学校、中学校、高校、大学と、健常な人と同じ環境で生活してきた。現在は、生活介護事業所に通っている。

 立ち上がるのが遅い。階段を1段ずつしか上れない―。幼稚園から小学校低学年にかけて、周りの子どもたちと差があることが分かった。「このままでは下級生のお世話ができない。だから6年生にはなれない」。悩みを聞いた両親が医療機関に連れて行き、デュシェンヌ型筋ジストロフィーと診断された。

 志望した中高一貫校に合格。この学校が重度の障害を持つ生徒を受け入れるのは初めてだった。教師が配慮してくれたり、級友が優しくしたりしてくれた。中学進学と同時に車椅子の生活になったが、電動車椅子サッカーをやるようになり、日々が充実した。運動会では放送係を務め、やりがいを感じた。

 ◇待っていたサプライズ

 高校3年の体育の授業の時に、「サプライズ」が待っていた。級友たちが車椅子サッカーを用意してくれたのだ。担任の教師がさまざまな所から、車いすを調達してくれた。
瀬戸さんが久しぶりに母校を訪れた時のこと。車椅子に乗っている生徒の姿を見て、「僕が学校の選択肢を広げるきっかけになったのかな」と、うれしくなったと言う。

西村由希子理事長

 同じ難病と闘った友人が30歳を前に亡くなり、30歳が一つの壁だと意識している。
「一日一日を、後悔しないように精いっぱい、生きていこう。人は人によって支えられている。自分は生かされている」

 ◇患者・家族に何ができるか

 希少・難治性疾患の分野におけるすべての関係者に向けたサービス提供を目指すNPO法人「ASrid(アスリッド)」の西村由希子・理事長は「この病気は治りにくく、患者は生きづらい。さらに、患者は生活者として一般社会で暮らす中で、偏見と誤解に苦しんでいる」と話す。その上で「患者とその家族に対して、私たちができることは何か」を問い掛ける。

 RDDは希少・難治性疾患の患者の生活の質(QOL)向上を目指し、2008年にスウェーデンで始まった国際的な啓発イベントだ。日本では10年から始まり、RDDのイベント開催地や参加者が年々、増えている。西村さんは「高校でもイベントを開催した。患者の人たちを知り、治療という専門分野に進むモチベーションにしてほしい」と、語っている。(鈴木豊)

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