一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏

(第7回)
低用量ピルの解禁目指す
自ら治験に参加、認可繰り延べに疑問

 ◇病院の外へ、積極的に活動

性と健康を考える女性専門家の会の副会長としてワシントンD.Cで講演
 子どもをいつ、何人産むのかは女性自身に決める権利がある―。94年にカイロで開催された国際人口開発会議で「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康/権利)」という考え方が提唱された。これを実現するためには、女性が主体的に自分でコントロールできる避妊法が必要だった。

 しかし、当時の日本で避妊といえば、男性が使うコンドーム一辺倒。女性は生理周期から「安全日」を計算するオギノ式という、避妊とは言えない不確実な方法で自分の身を守るしかなかった。

 97年秋、約30人の医師、助産師、保健師、ジャーナリストなど、女性の健康に関心のある女性たちが集結した。「性と健康を考える女性専門家の会」が発足し、対馬氏は副会長に就いた。

 「それまでも、いろんな先生がピル解禁に向けて頑張ってきました。でも、男性ばかりの議論で『ピルを解禁すると性感染症がまん延する』『性の道徳が乱れる』『子どもを産まなくなる』など、何の根拠もないさんざんなことが言われた。当事者の女性たちがもっと意見を言うべきじゃないかと、女性医師も女性の代弁者として提言すべきだったとみんなで反省しました」

 勉強会を重ね、国に要望書を提出し、理解者や支援者を増やしていった結果、会設立から2年後の99年に低用量ピルが認可された。米国での認可から39年遅れ、国連加盟国189カ国中で最も遅く、北朝鮮よりも遅れた認可だった。

 「私にとって低用量ピルの解禁に向けた活動は、とても大きな意味を持ちました。これをきっかけに初めて、病院の外に出て社会に向けて発信したり、政治家や他の団体とも連携したりして状況を変えていくという活動を学んだのです」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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