一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第16回) 人工弁適合性に気付く =父の死因、20年越しの解答

 東日本大震災が起きた時、天野氏が順天堂医院で行ったのは僧帽弁置換術。以前勤めていた新東京病院で執刀した患者に対する再手術だった。大きく揺れる手術室で敢行した執刀で、父親と同じ人工弁を取り換える手術だったため記憶に残り、その後も何かが心に引っ掛かっていた。

 患者から「元気になりました」とお礼の手紙が届いた時、天野氏は心に引っ掛かっていたものが何なのか、「はっ」と気付いたという。父親の人工弁の縫合不全がなぜ起きたのか原因を確信したのだ。「機械弁の生体適合が悪かったんだ」。父親を亡くしてから、約20年かかって得た解答だった。

 父親は心臓手術を3度受けたが、問題は2度目の1987年に受けた僧帽弁置換術だった。当時の機械弁の主流は「SJM弁」と呼ばれるものだが、一時的に輸入が中断。このため、1度目の手術で父親の心臓に付けられた生体弁に換えて使用されたのは、SJM弁ではなく「Duro Medics弁」という違う種類の機械弁だった。しかし約3年後に縫合不全を起こし、さらに別の弁に取り換える3度目の手術もむなしく亡くなった。

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