女性アスリート健康支援委員会 復帰で見えた新たな世界

充実した「第二の競技人生」
~復帰した馬淵優佳さん―飛び込み競技(上)~

 飛び込み台や板から高く空中に飛び出す。そして華麗な技を披露してから着水し、点数を競う。この飛び込み競技で実績を積み上げた馬淵優佳さん。引退表明と子どもの出産を経て競技に復帰し、大きな話題になった。育児のために、引退前と違い練習時間には制約が伴う。それでも、「第二の競技人生は、とても充実しています」と話す。

競技に復帰した心境を語る馬淵優佳さん

 インターハイの板飛び込みで3連覇を果たしたり、世界選手権に出場したりと第一線で活躍してきた馬淵さんだが、2017年に引退を表明した。その後、2人の娘を出産し、競技から遠ざかっていた。しかし、21年、4年4カ月ぶりに競技に復帰した。何がきっかけになったのだろうか。

 同年に開催された東京五輪で、馬淵さんは飛び込み競技の解説役を務めた。頑張っている後輩の選手たちを見て心に響くものがあったという。「飛び込みって格好いいな」と思った。

 引退を決心した理由について「選手として感じる競技の魅力よりも、競技を続ける苦しみの方がずっと強かったのです」と語る。だから、馬淵さんには飛び込みの格好良さが見えていなかった。

 ◇3歳で初めて飛び込む

 馬淵さんは解説する立場に回ることにより、自分が打ち込んできたスポーツを競技者としてではなく、外から客観的に捉えることができた。さらに、出産してから活躍しているアスリートの話を聞く機会もあった。

 「まだ、私にも伸びしろがあったのかな」。こう自分を見詰め直すことができた。

 父親は飛び込み競技の指導者である。馬淵さんは生まれて3カ月で水に親しんだ。「ベビースイミング」である。飛び込みはというと、「1メートルの高さから飛び込んだのが、3歳頃だったと思います」と言う。

競技を終え、コーチの父とハイタッチする馬淵さん

 ◇「嫌だった」

 「ほとんどの時間を『嫌だなあ』と思って、これまでの競技人生を過ごしてきました」

 馬淵さんは引退表明でも、同じような気持ちを明かしている。「嫌だった」という理由の一つは、コーチの父の存在にあったかもしれない。周りの選手仲間から何かと言われることもあった。

 ◇父に怒られた

 ハードな練習が続く中で、サボりたいことだってある。中学や高校などの運動部では、練習が厳しい。部員が「きょうは体調が悪いから休ませてください」と仮病を使いたいこともあるだろう。それで通ることもあるだろうが、馬淵さんの場合は違った。チームメートからコーチである父親に筒抜けになってしまうからだ。当然かもしれないが、プールで父親から怒られたという。

 「当たり前ですが、家に帰ると同じ人がいます。特に思春期の頃は父と顔を合わせたくありませんでした」

 ◇復帰を喜ぶ父

 復帰についてはどんな反応だったのか。当初は「なぜ、復帰するのか。危険だし、前例もない」などと乗り気ではなかった。子どもがいて限られた時間で練習を重ねる馬淵さんを見て「すごく応援してくれるようになった。うれしそうです」と言う。(了)

 馬淵優佳(まぶち・ゆか)
 飛び込み競技選手
 1995年2月5日生まれ。立命館大学スポーツ健康科学部卒業。父親が飛び込み競技の指導者だったこともあり、幼い頃からこの競技に親しむ。2008年の日本選手権でシンクロの高飛び込みと3メートル板飛び込みで2冠に輝く。12年のインターハイ板飛び込みで3連覇を達成。11年には世界選手権にも出場した。17年に引退を発表。娘2人を出産後、21年に競技に復帰した。同年に開催された東京五輪では解説者を務めた。ミキハウス所属。

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