「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

あの時、東北の死体検案所で見たものとは
~法医学会初の被災地派遣―長崎大医学部長~ 【第1回】

 2011年の東日本大震災では、死者・行方不明者1万8000人以上という甚大な人的被害を出した。日本法医学会は発生直後に対策本部を設置し、初めて組織的に被災地に医師を派遣。災害時の死体検案業務を行った。派遣は発生翌日の3月12日から7月6日まで、東北3県を対象に実施された。

 長崎大学医学部長の池松和哉教授(法医学)は、九州地区のまとめ役として、福島、宮城両県の検案所で従事。過酷な体験を基に、想定される次の大規模災害に備えて身元特定が迅速に行えるシステムや体制づくりの必要性を指摘している。インタビューでの発言をまとめた。

津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町=2011年3月13日【時事通信社】

 ◇長期戦になる、用意しておけ

 12年前の3月11日、東北で大変なことが起きていることをテレビで知りました。発生直後の午後3時すぎ、当時の長崎大医学部法医学教室の教授で、法医学会理事長を務めていた中園一郎先生から電話があり、「(被災地)近隣の医師だけでは済まないから、九州からも人を出すぞ。用意しとけ」と言われたのを今でも覚えています。

 「下手すると、(犠牲者は)3万人くらいになる。長期戦になるぞ」とも話していました。当時、私は准教授です。その時は「え、本当に」と思いました。

 日航機の御巣鷹山墜落事故(1985年)や阪神大震災(1995年)の現場にも法医学の先生たちは行っているんですが、学会が組織として派遣したのは、東日本が最初です。たまたま大阪出張中に阪神大震災に出くわし、神戸で検案業務を経験した中園先生が理事長だったからこそ、組織的な派遣が実現したと思っています。

 岩手と宮城はすぐに法医の派遣ができたんですが、福島は原発事故の関係でちょっと待っていたところ、学会から「九州組を福島に出す。お前がまとめて行け」と。しかし、現場でどういう物資が必要か、分からないですよ。

長崎大学の池松和哉医学部長【時事通信社】

 指示を待たずに入った人がいて、現地から漏れ伝わってきた情報によると、発見される遺体が土で汚れているけど、水がないので、土を落とすためのはけが必要だと言うんです。そこでホームセンターにはけを買いに行きました。

 持ち物は、解剖室の注射器とか針とか、ピンセットなど検案に必要な道具一式。コピーなんか取れないだろうからと思って死体検案書の紙なども。それと食料と水なんかです。バッグも買って100キロ詰めて持っていきました。

 長崎空港で、航空会社の女性地上スタッフが初めは「載せられません」と言っていたんですが、「震災で東北へ行かないかん」と言った瞬間に上と掛け合ってくれて、100キロの荷物を載せてくれました。

 その日の最終便で東京へ出発し、九州組は大田区蒲田で合流しました。九州大、長崎大の私、鹿児島大、琉球大、そして福岡大の准教授です。翌朝、ホテルを出て霞が関の警察庁に集合しました。各地から何人か来ていて、集まった医師は計10人くらいでしたか。

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