「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

あの時、東北の死体検案所で見たものとは
~法医学会初の被災地派遣―長崎大医学部長~ 【第1回】

遺体を発見し、収容する自衛隊員=2011年3月13日、宮城県東松島市【時事通信社】

遺体を発見し、収容する自衛隊員=2011年3月13日、宮城県東松島市【時事通信社】

 ◇石巻に並んだ千を超す遺体

 宮城への転戦は21日くらいだと思います。福島は(遺体が)徐々に上がって来て、待ち時間もありましたが、宮城でそんな暇はなかったです。福島はいっぺんに来ても3体とか。その感覚で行ったら、まさに戦場だった。

 検案所は石巻市の青果市場です。なぜ転戦したかというと、「たまっているから手伝いに行ってくれ」と。数が多過ぎて、警察の死体見分自体が間に合っていないんです。

 1日200体の検案をやっているんですよ。初め900体くらいから始まって200終わって、あと700と思ったら1100になっている。トータルが増えているんです。これだけの数が並んだのは見たことがなかった。それでメンタルをやられました。現実感がなかったです。一体俺はどこにいるんだろうと。とにかく数が千いっていますから。

 最後にはお棺もパウチ(収容する袋)もなくなって。小さい子どもさんのご遺体もありましたが、自衛隊が持ってきた毛布に、そのまま寝かせた状態でした。

 そうした中で、私たちは普段通りに体を見て、死因が何かを決めていくんです。死体検案書に焼死疑いとか、凍死とか書くんです。ほとんどは溺死ですがね。そして、一番大事なのは個人の識別。この人は誰かということです。

 血液の話をすると、警察は身元不明の人の血液だけを採ろうとする。ところが大災害のときは、家も流され、家族も流されています。DNA鑑定は比較する人がいるからできるわけで、身元の分かっている人の血液も採らないと、比較対象がなくなり分からなくなる。それで、初めから全部の血液を採った方がいいと提言したりしました。

 DNAが使えなければ歯ですね。5月の連休中に私は2回目の派遣があったんですが、(検案対象は)ほぼ白骨です。年齢の推定はやはり歯ということになりましたね。

 宮城には、宿泊先の山形から小型のバスで往復しながら1週間いました。朝5時とか6時に出て、いったん宮城県警本部で降りてミーティングをやって現場に向かうんです。女川など3時間くらいかかりました。宮城は水とかトイレとかのインフラが完全にやられていて、石巻ではトイレをずっと我慢するような状態でした。電気も、もちろん暖房もなしです。

震災発生時刻の午後2時46分、黙とうする宮城県警の捜索隊=2012年3月11日、宮城県東松島市【時事通信社】

震災発生時刻の午後2時46分、黙とうする宮城県警の捜索隊=2012年3月11日、宮城県東松島市【時事通信社】

 ◇想定死者32万、南海トラフへの備えを

 東日本大震災の経験から思うのは、南海トラフ地震が起きたときにどうするかです。犠牲者32万3000人を想定したとき、法医学会だけでは対応できないです。東日本で警察は、普段から遺体の扱いに慣れている都道府県警の検視官を総動員しました。南海トラフでは、日本の医師総動員じゃないですか。

 そして、やはり歯のデータベースとか、皆さん嫌がるとは思うけれど指紋のデータベースとか、個人の特定ができるデータベースを作っていないと。

 医師も普段から大災害へ用意しておく。頭の中でシミュレーションをしておく。私もいつも、あす何が起こるか分からないという状態でいますよ。東日本でも大学院生が来ていましたが、経験させておくのは大事です。

 東日本をきっかけに日本の法医学も変わりました。以前は国立の法歯学の講座は一つもなかったんですが、3.11以降、国立大学のいろんな所にできました。たくさんの人が死ぬと何が問題かということを国もやっと認識してくれたわけです。

 石巻の昼食は、かちかちのパンなどでした。青果市場の外に出て、食べられるだけでも幸運という感じで食べていました。でも、警察官は大変だと思いますよ。皆被災しているんですよ、地元の警察官は。家族がいなくなっているけれども、ここに来ているんだという人もいて。お巡りさんはすごいなと思いながら見ていたところはありますね。(時事通信解説委員・宮坂一平)

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