「医」の最前線 「新型コロナ流行」の本質~歴史地理の視点で読み解く~

都市封鎖の衝撃
~中世ペスト対策も再現~ (濱田篤郎・東京医科大学病院渡航者医療センター教授)【第3回】

ロックダウン(都市封鎖)で人通りがまばらになった英・ロンドンの繁華街オックスフォード・サーカス(2020年03月24日)【AFP時事】

 ◇映画「アウトブレイク」で見た光景

 ヨーロッパ各地で2020年3月に新型コロナウイルスの感染爆発が起きると、各国は流行拡大を阻止するために都市封鎖という強硬措置を取ります。この方法は1月末に武漢で用いられており、一定の効果が確認されていました。

 都市封鎖は、流行が拡大しつつある都市全体を封鎖して、住民の移動を制限するとともに、社会活動を一時的に停止させるというものです。私はこの光景を、映画「アウトブレイク」(米国・1995年)の中で見たことがあります。ダスティン・ホフマン演じるアメリカ陸軍伝染病研究所の科学者が、致死性ウイルスの米国での流行を阻止するというストーリーで、映画では米国の小さな町が軍隊により封鎖される様子が描かれていました。このよう状況が現実にヨーロッパの大都市で起きてしまったのです。

 ◇感染症対策としての都市封鎖の効果

 近年、都市封鎖はテロ対策などの際に用いられています。2013年のボストンマラソン爆弾事件の際にも、ボストン市がテロリストを捜索するために都市封鎖を行いました。しかし、この方法が先進国の感染症対策に用いられたことは、現代社会で初めてのケースだったのではないでしょうか。

 「都市封鎖」と一口に言っても、外部への住民の移動を制限するだけでなく、店舗を閉鎖したり、町の中での外出を制限したりするなどの措置が取られます。これに違反した者には罰金が科せられるため、多くの住民はそれに従うのです。

 新型コロナのように飛沫(ひまつ)感染で拡大する感染症は人から人にまん延するため、人の移動を制限し、社会活動を一時的に低下させる方法が理論的には有効です。しかし、今回のように大規模に実施したことはなく、その先駆となる武漢封鎖が流行制圧に、一定の効果を見せたことで各国が導入しました。

 ただし、都市封鎖は劇薬であり、経済に大きなダメージを与えるだけでなく、住民の生活にも大きな影響を及ぼします。それにもかかわらず、新型コロナの流行で都市封鎖という劇薬が使われたのは、このウイルスが未知の病原体で、有効な治療法やワクチンが無かったからです。

 ◇中世ペスト流行時にさかのぼる感染症対策

 新型コロナの流行初期に取られた対策としては都市封鎖が強調されていますが、それ以外にも感染者の隔離や、国境での検疫といった対策が行われました。こうした対策は医学用語で「非薬物的な感染症対策(Non-pharmaceutical intervention)」と呼ばれており、薬剤やワクチンを用いる「薬物的な感染症対策」と区別されています。

 感染症の対策として薬剤やワクチンが本格的に開発されたのは20世紀になってからで、それまでは感染症の流行には「非薬物的な対策」だけが取られていました。新型コロナのように未知の病原体の流行に当たっても、当面は20世紀以前の「非薬物的な対策」に頼るしかありませんでした。

 このような古典的な感染症対策がいつ頃から始まったかと言うと、それは14世紀のペスト(黒死病)の流行時にまでさかのぼります。この流行により、ヨーロッパでは当時の人口の3割に当たる3000万人以上が死亡しました。病原体である細菌の存在が発見される、はるか昔なので当時の人々は汚れた空気や星の配置を病気の原因と考えていました。

 しかし、流行が拡大してくると、患者との接触が流行の原因ではないかと考えるようになったのです。その結果、患者を隔離するという方法で病気の拡大を抑えるようになります。ただし、隔離と言っても患者を家の中に閉じ込めたり、町はずれに遺棄したりするなど、現代から考えると非人道的な方法でした。また、イタリアのベニスでは、入港する船を沖合で40日間監視し、患者の発生が無いことを確認してから上陸を許すという制度を作ります。この制度は流行の拡大阻止に有効であったため、地中海沿岸の多くの港町に広まっていきました。これが現代の検疫制度の基になっています。

 ◇中世は都市封鎖よりも疎開

 それでは、14世紀のペスト流行時にも都市封鎖がされていたのでしょうか。当時のイタリアでは、多くの都市が一つの国家として、貴族や富裕市民による緩い支配下にあったため、あまり強硬な措置は取られませんでした。ただし、ミラノはビスコンティ家が専制政治を行っていたため、ペストの流行が近づいてくると、都市を囲む城壁を閉ざし、感染者が町に侵入するのを防ぐという対策を取ります。

 現代とは目的が違いますが、都市封鎖の原型と言えるかもしれません。ミラノはこうした方法を取ることで、ペスト流行の波及を遅らせるのに成功します。その一方で、今回の新型コロナ対策のように、流行地域を封じ込め、それ以上の拡大を抑えるという目的での都市封鎖は、中世にはほとんど行われませんでした。むしろ、多くの人々が町から逃げ出す、いわゆる疎開という方法が取られました。イタリアの作家ボッカチオの名作「デカメロン」も、14世紀のペスト流行の際に、フィレンツェから逃げ出した若者たちが疎開先で語った話を題材にしています。疎開がどれだけ流行に影響したかは不明ですが、流行地域から人が移動することは、感染拡大に悪い影響を与えたのではないかと思います。

東京・上野のアメ横商店街(写真上)ではほとんどの店のシャッターが閉じた。原宿・竹下通り(写真下)も閑散。(2020年05月06日)

 ◇日本で都市封鎖は可能か

 日本では20年3月23日に小池都知事が記者会見で「都市封鎖、ロックダウンのような強硬措置をとる可能性がある」と発言し、国内の空気が大きく変わりました。それまで、多くの人々が日本で都市封鎖は起きないだろうと考えていたのですが、それが現実的な事態になってきたのです。この発言は国民に警鐘を鳴らす意味では有効だったのでしょうが、日本で都市封鎖は憲法上の制約で実施は難しいと考えられています。

 この小池知事の発言の約2週間後の4月7日、日本政府は新型インフルエンザ特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令しました。国民に外出自粛や一部業種の営業自粛を要請するという、ヨーロッパで見られた都市封鎖に比べると弱い措置でしたが、多くの国民がこれに従い、日本での第1波流行は5月下旬に収束します。

 ところで、日本でも感染者は医療機関や指定された宿泊施設へ隔離されますが、感染症法で隔離を強制的に命ずることができるのは、1類感染症と新型インフルエンザ感染症だけになっています。新型コロナについては指定感染症で2類相当の措置を行うと決められており、隔離は勧告までしかできません。それでも多くの感染者が整然と、この勧告に従っているのです。

 ◇古典的対策が初期流行収束の決め手

 ヨーロッパで3月から急速に拡大した新型コロナの流行は、5月には収束していきます。こうした初期段階の流行に当たっては、「非薬物的な対策」が収束への決め手となりました。その起源は600年以上前の中世ペストの流行時と古いものですが、当時の人々が病原体との戦いの中で獲得した方法が、現代社会においても未知の病原体の流行を阻止するのに大きな効果を発揮したのです。(了)

濱田特任教授


 濱田 篤郎 (はまだ あつお) 氏

 東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授。1981年東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学留学。東京慈恵会医科大学で熱帯医学教室講師を経て、2004年に海外勤務健康管理センターの所長代理。10年7月より東京医科大学病院渡航者医療センター教授。21年4月より現職。渡航医学に精通し、海外渡航者の健康や感染症史に関する著書多数。新著は「パンデミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策」(朝日新聞出版)。




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