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「公平」という名のサービス縮小 第22回

 利用者が希望すれば、介護保険のケアマネジャーを代えることができる。利用者にとっては、少なからず自分のプライバシーを見せることになるため、相性の良くないケアマネジャーを我慢して使い続けることはない。

市町村の配食サービスには、さまざまな利用条件がある

市町村の配食サービスには、さまざまな利用条件がある

 ◇代えるのをためらわない

 相性とは、性格がよく合うかどうかということ。かなり主観的なものだが、人と人との関係であるからには相性があって当たり前だろう。

 もちろん、さしたる理由もないのに次々に代えるのは考えものだ。しかし、理由があり、交代してもらう理由を契約しているケアマネジャーの事業所に明確に伝えることができるなら、ケアマネジャーの変更をためらうことはない。

 ◇さまざまな理由

 「話を聞いてくれない」「本人そっちのけで家族とばかり話をする」「相談しにくい」「頼んだことをやってくれない」「サービスを押し付ける」「時間を守らない」「言葉遣いが悪い」など、ケアマネジャーを代える理由はさまざまだろう。

 これは、「平成の大合併」が一段落した平成20年ごろの話である。

 ある地方都市で暮らす斎藤忠男さん(仮名・当時76歳)は、ある理由からケアマネジャーの変更を続け、4人目でやっと眼鏡にかなうケアマネジャーに巡り会えたのだった。

 ◇日中独居

 斎藤さんは長男家族と同居していたが、昼間は家族不在で、いわゆる「日中独居」だった。連れ合いと死別してから8年がたっていた。73歳の時に右足を骨折。以来、循環器系の病気を繰り返し患い、要介護2だった。

 ◇平成の大合併

 「平成の大合併」とは、合併特例法の改正に伴い平成11年度から11年間にわたって行われた市町村合併のことだ。この合併で、全国の市町村数は3232から1727に減った。

 総務省は「地方分権が進展し、市町村の役割がますます重要なものとなる中で、市町村の行財政基盤を強化し、国・地方を通じる厳しい財政状況下においても市町村の行政サービスを維持し、向上させるため、市町村合併により行政としての規模の拡大や効率化を図ることが必要」と市町村合併のメリットを強調したが、もちろんデメリットもあった。

 ◇サービスが使えなくなった

 斎藤さんが暮らしていた町でも、幾つかの町村が合併し、新たな市が誕生した。その結果、今まで利用できていた配食サービスが利用できなくなったのだ。

 合併以前は、同居家族がいても日中独居などの理由があれば、配食サービスを利用することができていた。

 斎藤さん宅は決して裕福とは言えず、長男夫妻は朝から晩まで、かなりの時間、外に出て働いていた。そうした条件を満たし、斎藤さんは配食サービスが利用できていた。

 ところが、市町村合併により、日中独居といえども同居家族がいる場合は、利用できなくなったのである。これは「公平性」を保つために、配食サービスの利用条件を最も厳しい旧自治体に合わせた結果だった。

 ◇ケアマネジャーへの期待

 斎藤さんがケアマネジャーを次々に代えたのは、配食サービス利用停止への対応だった。

 公的な配食サービスは介護保険のサービスではなく、市町村の独自サービスだ。しかし、介護保険のサービスだけでは要介護高齢者の暮らしが成り立たないことが少なくない。ケアマネジャーは、そのことを十分に承知しているはずだ。だから、暮らし全般に目を凝らしながら動いてほしいと斎藤さんはケアマネジャーに期待していた。

 ◇異なる対応

 配食サービスの利用停止について、最初のケアマネジャーは「仕方がありませんね」と言うだけだった。

 2人目は行政に打診してみたらしいが、「例外は認められない」との返事をそのまま持ち帰ってきた。

 3人目は行政の窓口で粘り腰を発揮し、「特例」という条件付きの利用を勝ち取った。しかし、斎藤さんは特例という言葉が気に入らなかった。「自分1人が良ければ、良いのではない」と考えたからだ。

 そして、4人目のケアマネジャーは「地域の問題」として受け止めた。それこそが、斎藤さんが待ち望んでいた対応だった。

 ◇地域ケア会議の果てに

 4人目のケアマネジャーは、行政も参加する「地域ケア会議」にこの問題を提出することにした。地域ケア会議とは、地域包括支援センターなどが主催し、個別ケースの課題などを持ち寄ることで、地域に共通した課題を明確化、そこで議論された地域課題解決に必要な資源開発や地域づくりなどを行っていくきっかけとなる会議である。

 さらに並行して、ケアマネジャーはケアマネジャー同士の連名で「配食サービス利用拡大」の要望書を行政に提出した。その結果、柔軟な運用が行われるようになった。

 ◇馬が合う同志として 

 斎藤さんは、とてもうれしかった。自分の抱える問題が発端となって、地域にとって貴重な社会資源の柔軟な運用が実現したのだから。

 それ以来、4人目のケアマネジャーはまさに「同志」となった。時には天下国家も論じた。なぜなら、介護保険制度本体も3年ごとの制度改定によって使いづらい制度になっていくのを実感していたからだ。

 ただ、制度本体に関しては配食サービスのように、柔軟な運用に結び付くわけではなかった。それでも、利用者としての苦言に深くうなずいてくれるケアマネジャーは、本当に自分たちの味方だと思うのだった。

 それから、斎藤さんはケアマネジャーを代えることはなく、10年余りをその地で暮らし、旅立った。(了)


 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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