こちら診察室 介護の「今」
「その人らしさ」って何? 第18回
介護の世界では、その人らしく生きるための支援が推奨されている。でも、その人らしさって何だろう?
◇嫁としゅうとめ
「家制度」が1947年の民法改正で廃止された後も、長男の妻が「嫁」として「夫の家に入る」という慣習は根強く残り、嫁としゅうとめのバトルが繰り広げられてきた。
嫁としゅうとめのバトルは、今でもよくある風景だ
◇嫁入り
寄子さん(60歳・仮名)が嫁入りしたのは35年前、昭和が幕を下ろそうとする頃だった。夫は地方都市の土建業、寄子さんは美容師。嫁入り前に同居を拒んでみたのだが、当時、55歳のしゅうとが頭を下げ、何とか同居にこぎつけた。4歳年下のしゅうとめは、しゅうとの弱腰が気に入らなかった。
◇バトルが始まる
嫁入りから1年間は波風が立つことなく過ぎていった。しかし、長男の帰宅が遅いことをしゅうとめがとがめたことをきっかけに、嫁としゅうとめのバトルが火ぶたを切った。
「主人も大人なんですから」と嫁が言うと、「何を甘いこと言ってるの。だらしないときは、きっちりと意見しないと駄目なのよ。あの子のことは、私が一番よく知っています」としゅうとめが言い返す。
それ以来、事あるごとにバトルが繰り広げられていった。
◇小言幸兵衛
しゅうとめは、「小言幸兵衛(こごとこうべえ)」と化した。小言幸兵衛とは落語の演目。転じて、口やかましい人をいう。
「新聞が郵便受けに入ったまま」「靴が玄関に出しっ放し」「花瓶の花が枯れてる」「ダイコンの皮をこんなに厚くむいて」「お茶っ葉を1回で捨てるの?」「はたきは毎日かけてちょうだい」…。朝から晩までしゅうとめの小言が降り注ぐ。
嫁の寄子さんが「もう我慢できない。一緒に暮らせない」と言っても、夫は「まあ、仲良くやってくれ」と人ごとだった。
◇「もう、許せない!」
やがて、子どもが生まれると、子どものしつけを巡ってバトルが過熱した。
「家事の小言ならともかく、子育てへの口出しだけは許せない!」。寄子さんは夫に詰め寄った。
しゅうとめは、「嫁のくせにこの家のしきたりに従わないはすっぱな女」と親戚に愚痴り始めた。しかも、子どものしつけに対する口出しはやまず、嫁の堪忍袋の緒が切れた。
◇別居
「もう一日たりとも一緒に居たくない」
寄子さんは、子どもを連れて実家に帰ってしまった。夫が迎えに行っても、「別居しなければ別れる」の一点張り。
寄子さんの実家は隣県だ。焦ったのはしゅうとである。「このままでは、孫が嫁の実家に取られてしまう」と案じ、「資金を援助するから、近くに家を建てて、そこに住め」と、別居を前提にした提案をした。
寄子さんには、美容室を持ちたいという夢があった。「新居の一角を美容室にすれば、その夢が実現できる」と考えた。
しゅうとめは「そこまでしてやることはない」と怒った。しかし、自分としても、「嫁の顔を毎日見るのは耐え難いし、孫が近くに住んでくれれば」という現実的な選択として、しゅうとの提案を黙認することにした。
かくして、長男家族の美容室のある新居が完成し、別居生活が始まった。
◇しゅうとめの異変
それから、バトルは表面上沈静化し、年月が過ぎていった。子どもは育ち、しゅうと夫妻は老い、平成が終わる頃、しゅうとが脳卒中に倒れて他界した。
しゅうとめに異変が起こったのは、その数カ月後だった。時折訪れる寄子さんに、「あんた、私の帽子を盗んだね」と言ったのが異変の皮切りだった。やがて、「指輪がない」「毛皮のコートがない」「財布がない」と、訪れるたびに寄子さんを責めるようになっていった。
もちろん、寄子さんは、そのたびに目をつり上げて言い返した。その一方で、しゅうとめへの怒りの感情は、かつての子育てを巡るバトルのようで、懐かしくもあった。
ただし、今度のバトルは、しゅうとめの心の異変によるものだった。思い当たるのは「認知症」。長男夫妻は、「盗難の相談に乗ってくれる所がある」としゅうとめをだまして精神科の外来を受診させると、アルツハイマー病の診断が下った。
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(2023/12/05 05:00)