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救済されない日常生活の不自由
~「眼球使用困難症」をめぐって~ 第10回

 眼科で病名を付けにくい20歳女性Fさんのケースです。

 目がすごく疲れて使えない、無理に使うと疲労感が増し、目尻や目の奥に痛みが感じられるだけでなく、臥床せざるを得ないほどの不調に陥る場合もあります。近視が強めで、視力は眼鏡をかけないと0.1もありません。そもそも眼鏡をかけると気分が悪くなります。それは眼鏡をかけるイコール物を見るという行動に直結するからでしょう。要するに、物を見るということ自体が体への大きな負担になる症状と考えられます。

 症状は3年前から始まって次第に重度になり、学業にも支障が出ました。学習への意欲は旺盛で、不自由にもかかわら大学入学を果たしましたが、通学が非常に困難です。

DSM-5日本語解説版

 ◇訳の分からぬ病名

 視覚を利用した情報取得ができず、音声などに頼っているので事実上の視覚障害と言えるでしょう。しかしながら、私には眼科医として、また神経眼科医としてもFさんに適切な病名を付けることができません。幾つもの眼科にかかっていて、アレルギー性結膜炎やドライアイ、調節緊張などいろいろな病名を言われたそうです。ですが、どれも所見が合わないし、その病名でFさんの症状を説明できるとは到底思えません。「心因性の眼精疲労」という訳の分からない病名を付けられたこともあるそうです。

 結局、私は前に触れた「眼球使用困難症候群」とすることにしました。この病名は医学的メカニズムに立脚したものではなく、患者がどういう状況にあるかを説明的に示した呼称です。つまり、特異的な独立した病名ではなく、雑多な病態が含まれる総称です。将来、メカニズムが解明され、幾つかの特異的病名に分類されるようになれば、もうこの呼称にこだわる必要はないわけです。

 ◇精神医学的な見地

 器質的疾患として解釈できないと、われわれ身体科の医師はどうしても精神医学的見地から見てもらおうと考えます。

 精神科医はFさんに「身体症状症」の病名を与えました。

 私は10年前から「心療眼科」の重要性を強調してきましたので一通りの知識を持ちますが、一般眼科医は今日の精神医学の考え方に精通してはいません。それゆえ、精神医学における操作的診断による疾患名を付すのは身体科にはなじみがなく、何とか診断がついても理解が及びにくいのです。

 操作的診断とは、精神疾患のように原因不明で特定の検査法がない疾患に対し、できるだけ医師の主観による診断のばらつきが生じないよう、多数の専門家によって明確な基準を設け、それに準拠して診断する方法です。例えば、米国精神医学会が定めた「精神障害の診断・統計マニュアル=DSM」は国際的にも通用するもので、日本でもこれに準拠して診断を行うことが多いのです。この診断基準は医学の進歩に従い定期的に見直され、現在は第5版(DSM-5)となっています。

 しかし、身体症状症とは、身体科では器質的病変が見つからず、メカニズムが分からないからこそ与えられた病名であり、もし身体科として症状を説明できる病名があるのなら、そちらが優先されます。身体症状症という精神科の診断は、「身体科である眼科では、何らかのメカニズムが働いているはずなのに答えが見つけられなかった」と言っているとも解釈できます。

 そう考えると、統合失調症やうつ病、双極性障害、てんかん、発達障害など本来的に身体病とは考えられない精神疾患だけに「精神障害手帳」が交付されるというルールは、理論的に正しいのだと言えましょう。

 ◇視覚障害者に認定されない

患者の症状に注目した病名

 Fさんが相談した視覚障害者職能センターの方は「『日常生活に不自由するレベル』なら障害者手帳を発行されるはずだ」と言ったそうです。常識ではそう思うでしょう。でも、Fさんは測定すれば視力や視野に異常はなく、眼球の病気はないので、現行制度では視覚障害として障害者手帳の対象にはなりません。

 日常生活における不自由の程度が大きいのに、確立した病名と治療方法がなく、その不自由を当面軽減させる方法がないのであれば、医療でなく福祉の領域での対応と救済が優先するのは当然のはずです。しかし、日本の障害の認定や救済などの法律はすべて「医学モデル」になっていますので、医学が科学的エビデンスを持って証明することが常に求められるわけです。

 ところが、「眼科でAI医療はどこまで可能か」というテーマで述べましたように、医学は万能ではありません。特に視覚などの感覚医学は弱点になっています。つまり、患者の自覚症状よりも検査所見が圧倒的に重要視されてしまうので、感覚症状を抱える患者に不公平が生じるのです。医学進歩の不均衡が差別を生んでいる原因とも言い換えられるでしょう。

 Fさんの眼球使用困難症という病名は、まだまだ医学の世界では十分に認知も研究もされていません。同様に、表にあるような病名は医学上のメカニズム立脚型ではなく、患者の症状に注目したもので医学界での認知度にはばらつきがあり、認められても病名として認知されるまでの道のりは遠かったと思います。

 このような患者中心型病名は、将来の臨床医学の発展の上で非常に重要な視点になるはずだと私は思います。

 ◇患者の苦痛・不自由に注目せよ 

 当事者がどれだけ困っているかという視点ではなく、もっぱら医学モデルで障害を判定することに「医学はまだまだ弱点があるのでおかしい」という意見は潜在的にはあるでしょう。ただ、医学の側からはそんな声は出ないでしょう。疑問の声が上がるとすれば、当事者や支援者、支援団体、福祉関係者だと思います。

 厚生労働省の方に聞いてみると、「病名や手帳がなくても総合支援法や障害者差別支援法があるので問題はないはずだ」という回答です。具体的には、自治体による同行援護サービス(移動にリスクのある方に同行するサービス)は障害者手帳所有が要件ではないというのが厚労省の見解です。法律の精神や国の見解は確かにそうでしょうが、手帳がないからと断られた事例もあると聞きます。「日本社会の認識、現場の対応を見ると、上記支援法の精神はまだ広く行き届いてはいない」というのが私の見るところです。

 患者の苦痛や生活のしづらさを中心に据えた障害者認定システムを改めて考案し、導入することを真剣に考えていただきたいものです。(了)

 若倉雅登(わかくら・まさと) 
 1949年東京都生まれ。北里大学医学部卒業後、同大助教授などを経て2002年井上眼科院長、12年より井上眼科病院名誉院長。その間、日本神経眼科学会理事長などを歴任するとともに15年にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ、神経眼科領域の相談などに対応する。著書は「心をラクにすると目の不調が消えていく」(草思社)など多数。

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