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眼科の進歩が見落としたこと
~連載の最後に当たって~ 第12回・完

 眼科で真っ先に浮かぶ病名は白内障、緑内障でしょう。事実、「白内障はどうですか」「緑内障は大丈夫ですか」など、目の不調で外来に来られる方が口にする病名の大半がこの二つです。それに次ぐのが加齢黄斑変性など網膜の病気でしょうか。

 本連載で、私は専門である神経眼科、心療眼科の立場から日本の眼科医療の最新事情を見てきました。その立場からしても、これらの代表的な眼球に生じる病気の診断や治療に関し、この30年の進歩は目覚ましいものです。では、これからの30年も同じような速度で眼科学は長足の進歩を遂げるのかというと、私はそうは楽観していません。すでに、眼球疾患の治療は限界近くにまで発展していると思われるからです。

 ただ、進歩の裏で見落とされ、置いてきぼりを食った分野があることも事実で、この連載ではそこも示してきたつもりです。白内障術後不適応、目鳴り、失明恐怖、まぶしさ、眼痛、眼球使用困難、AI医療の問題点といったキーワードで取り上げたさまざまな目の不調です。当事者はその固有の感覚を擬態語を使うなどして何とか伝えようとしますが、医師側からは検知しにくいのです。

 つまり、数値化や客観化が難しい質的異変ゆえに、従来、臨床医学の研究の俎上(そじょう)にほとんど載ってこなかった、いわば出遅れたテーマと言えます。逆に言えば、今後の臨床眼科の発展を考えるときに、ぜひとも重点を置かなければいけない分野です。

図 領域横断的に考慮すべき中枢性感作症候群(赤字は眼科を受診することが多いもの、★はしばしばまぶしさを訴える病気、「その他」は今後種々の現代病がこのカテゴリーに入ってくる可能性を示す)

 ◇出遅れの理由を考える

 なぜ、出遅れが生じた分野があるのか。それを48年に及ぶ私の臨床医体験から考えてみたいと思います。

 眼科を含む身体科の医師は、医学生そして臨床医教育の中で病気の概念が確立しており、視診や検査で確認できる基準のあるものについて診断することには長けています。診断基準のしっかりしている病気では、診断治療に関する研究も進みやすいものです。

 ところが、検査法が乏しく、診断基準が作れないような症状・病気に直面すると「分からない」、極端な場合は「何でもない」ということになりがちです。先ほど列挙したキーワードは、ちょうどこの条件に当てはまります。

 臨床医はじっくり患者の話を聞き、プロの立場から適切な指針を示すことが大事な役割のはずです。しかし、1日に何十人もの患者を診なければいけない今日の日本の臨床現場では、なかなかそこまで行き届かないのが現実です。自分が勉強してきた範囲に入らない症状や問題を持つ事例には、結果として思考放棄や思考停止になってしまうわけです。

 医師の時間的余裕のなさは制度上の大問題です。私はほぼ第一線を退いています。制度から外れた立場になり、患者一人ひとりに比較的時間をかけられるようになりました。すると、見えてくるものがあります。

 ◇私が見る臨床医学の欠点

 ここでは、そのうち重要と思われる二つの臨床医学の欠点を少し解説してみましょう。

 一つは、医師が器質的疾患ばかりに気を取られ過ぎることです。もちろん、症状があればそれに見合う傷や炎症、局所の異変があるかを探すのが医師の本来の任務です。でも、形の上では何ら変化を起こしていないのに機能の低下や停止が起きることもあります。

 この事実をつい医師も患者も忘れてしまい、「症状がある場所に何かあるはずだ」という考えにとらわれます。大脳、特に高次脳は内臓や視聴覚器を含めた身体全般の機能を制御していることは神経科学の常識ですから、局所に異変がなければ高次脳機能に注目するのは当然です。ここで多くの医師は脳のCTやMRIを撮影することを思い付き、それで異常がないと「異常なし」と宣言してしまうことが多いようです。

 しかし、例えばパソコンの作業中にバグが生じても、パソコン本体の機械が故障したと思う人はいないでしょう。同様に画像に表れるような脳の構造異変はめったに起こらないものです。脳内の神経信号が走る様子は見えないので、「形が正常だから異常なし」とするのは不適切なのです。

 ◇領域横断的な中枢性感作症候群

 もう一つは、臨床科目や専門科が細切れになり過ぎていることです。目や視覚のことは眼科へ、耳鳴りやめまいは耳鼻科へ、腹痛は内科へ、腰痛は整形外科へと、人間の体は一つなのに部位ごとに別の身体科が担当します。

 図は「中枢性感作症候群」という概念で捉えると、人間の体のいろいろな不調の謎が解けることを示しています。詳細は拙著「心をラクにすると目の不調が消えてゆく」(草思社)を参照してください。おそらく共通したメカニズムなのに、別々の身体科で診ているために気付かず、研究が進まないのです。

 これからは、分野を限定しない領域横断的な俯瞰(ふかん)的な見方をしないと真の医学の発展は得られないのでないかと強く思います。

 こうした現代臨床医学の欠点を克服すること、つまり、もっと当事者の不調や苦しみをトータルに捉え、対応しようとする視点での探求が、より患者に寄り添った新しい臨床医学、ことに眼科が扱う感覚医学の発展に寄与するはずです。このメッセージを本連載を締めくくる私の言葉と期待にしたいと思います。(完)

 若倉雅登(わかくら・まさと) 
 1949年東京都生まれ。北里大学医学部卒業後、同大助教授などを経て2002年井上眼科院長、12年より井上眼科病院名誉院長。その間、日本神経眼科学会理事長などを歴任するとともに15年にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ、神経眼科領域の相談などに対応する。著書は「心をラクにすると目の不調が消えていく」(草思社)など多数。

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