強制不妊訴訟の上告審弁論で意見陳述した札幌市の原告小島喜久夫さん(82)は、一生子どもが持てないことに絶望し、手術について長い間、妻にも打ち明けられずにいた。「人生は元に戻らないが、せめて間違いを認めてほしい」と国の謝罪を強く望んでいる。
 北海道石狩町(現石狩市)の農家夫婦に引き取られ、2歳で小児まひに罹患(りかん)、右足に障害が残った。19歳の時、帰宅すると待ち構えていた警察官に手錠をはめられ、統合失調症を理由に札幌市内の精神科病院に入院させられた。
 入院後しばらくして、婦長から「子どもができなくなる手術をする」と告げられた。理由を聞いても「あんたたちみたいなのが子どもをつくったら大変だから」という説明のみ。革手錠で拘束されて医師のもとに連れて行かれ、手術を受けた。
 その後結婚し、初めて心の底から幸せを感じたが、妻に手術のことは言えなかった。妻から「子どもができないね」と言われるたびに、おたふくかぜが原因だとうそをついた。本当のことを言えば幸せな生活が終わってしまうと思うと怖かった。
 転機となったのは2018年1月、旧優生保護法に基づく不妊手術を強制された女性が仙台地裁に提訴したとの報道だった。妻に手術について打ち明け、弁護士による電話相談会を経て同年5月、提訴に踏み切った。
 最高裁大法廷で、小島さんは15人の裁判官に「子どもができていれば人生は変わっていたと思う。今より幸せだったかもしれないし、不幸だったかもしれないが、自分の人生は自分で決めたかった」と悔しさを訴えた。 (C)時事通信社