教育機関で最古の歴史
120回の節目を迎える東京慈恵会医科大学の解剖慰霊祭
10月28日に芝公園の増上寺で開催
医師の育成や医療の発展、死因の判定に欠かせない人体解剖。
慈恵大学(東京都港区)は、献体による系統解剖(医学生の解剖学実習)、病理解剖、法医解剖の対象になった故人に感謝し、供養する解剖諸霊位供養法会(以下解剖慰霊祭)を、10月28日に東京都港区芝公園の増上寺で挙行します。
日本の医学教育機関における解剖慰霊祭は、本学が1905年に増上寺で挙行した「解剖追弔法要式」が最初と言われており、今回で120回の節目を迎えます。
解剖学と解剖慰霊祭の始まり
本学における解剖学の取り組みは、本学創設者であり後に海軍軍医総監を務めた高木兼寛が1882年(明治15)に、芝公園にあった海軍医務局学舎で24歳の男性の病死者を病理解剖(剖検)したことに始まります。
当初、解剖後のご遺体は、了眞寺(品川区東五反田)、源昌寺(港区高輪)、正徳寺(港区白金)などに分けて埋葬し、毎年、読経回向を行っていましたが、1882年(明治15年)から1905年(明治38)までの解剖体の累計数が504体に達したことから、1905年10月28日午後1時、増上寺大殿において、ご遺族、来賓、教職員、学生、看護婦(現在の看護師)など500人以上の参列者を集めて、「解剖追弔法要式」を盛大に挙行しました。
これが我が国の医学教育機関による最初の解剖慰霊祭と言われており、以来、本学では毎年10月28日に、当時の法要形式をそのままに解剖慰霊祭を挙行し、暦が2回還る120回の節目を迎えました。
本学の解剖への取り組み
・本学がこれまでに扱った解剖体は、1882年から2024年8月までの累計で46,499体となり、これは国内の大学として最大級の規模となります。
・ 毎年平均1,000体以上の解剖体に向き合っており、特に年間の法医解剖数は日本一となります。
・ 2024年の内訳は、法医解剖が810体、献体による系統解剖(解剖学実習)43体、病理解剖(病気で亡くなった方にご協力いただき医学的な検討を行う剖検)34体となっています。
・ 特に、法医解剖については、420万人以上の人口を擁する東京都下の法医解剖を引き受ける中心的機関として、社会的に重要な役割を担っています。
・ こうした取り組みにより、本学は法医学を志す医学生の主要な志望先となっています。
(2024/10/24 11:14)