一流に学ぶ 「美と健康」説くスポーツドクター―中村格子氏

(第1回)
3回の転校で適応力磨く
天真らんまん、少女時代

 中村格子氏は1966年、盛岡で国家公務員の父親と元ピアノ教師の母の次女として生まれた。「かくこ」という名前は、「木のように根を張って幹を生やし、葉を広げて実っていく」という意味を込めて父が付けた。中村氏は「ちょっと色気はないですよね。もっと真理子とか由美子のような愛される名前が良かったですけど」と笑う。

「Dr.KAKUKO スポーツクリニック」院長、中村格子氏
 法務省の役人で後に検事になった父親の転勤で、中学入学までに、仙台、青森、盛岡、滋賀、山口、横浜と移り住んだ。小学校の6年間で3回も転校し、四つの学校に通ったが、すぐに周囲に溶け込み、どの学校でも学級委員を務めた。

 「男の子のちょっと女寄りくらいの感じ」と自認するように、天真らんまんで活発な子どもだった。背が高く、スポーツ万能。小6では50㍍を7秒台で走った。
「絵が得意だったので、当時はやった『ベルサイユのばら』や『宇宙戦艦ヤマト』の絵を描いてあげると、みんなすごく喜んでくれて、すぐに友達ができました」

 ひときわ目立つ存在だったことで、いじめにも遭ったが、まるで意に介さなかった。男子から決闘を申し込まれて、取っ組み合いのけんかをしたことも。

 「勝ってましたね。私の方が体格も良かったですし。でも、内心、あと1~2年もすれば男子の方が体が大きくなって、かなわなくなると分かっていました。そのあと運よく父が転勤になったので、仕返しされなくて済みました」

 両親は、見識を持って育ててくれた。元ピアノ教師だった母親には、3歳から小6まで厳しい指導を受けた。

 「ものすごくスパルタでした。絶対音感を付けるためにピアノの下に潜り込まされて、音当てをさせられるんです。間違えると、すごく怒られました。せっかく気持ち良く弾いていても、台所から『そこは4(薬指)じゃなくて3(中指)よ』と、指の間違えを指摘されて。練習するのが嫌で逃げてました」

 人前に出るのが好きな子どもだったが、中学に入ると逆に目立たないように気を使うようになった。
 「目立つのはいいことばかりじゃないと気付いたんです。ちょっとしたことで先生に怒られたりして、私は目立っているから先生から嫌われてるのかなって思うようになりました」

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