一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第6回)角膜が足りない日本=苦肉の策で米から輸入

 1987年、ハーバード大で角膜の専門的な臨床研修を受けて帰国した坪田氏は、「これから、角膜の病気撲滅を宣言するまで頑張ろう」と意気込んでいた。

 ところが、角膜移植をすれば視力が向上することが分かった患者に移植手術の予約を勧めるのだが、いくら待ってもアイバンクから肝心の角膜が届かない。

 

角膜移植の症例
 当時、日本では年間2万件の角膜移植手術が必要と推計されていたが、1500個の角膜しか供給できていなかった。つまり、最後に手術を受ける人は13年以上待つ計算だ。

 「13年も待つとなると、10歳の患者さんなら23歳になる。70歳の患者さんなら83歳、待っている間に死んでしまう人もいる。そう考えると、居ても立ってもいられなくなりました」

 坪田氏が初めて日本のアイバンクを見たのは、医学部を卒業して1年目のことだった。慶応大病院の研究室の片隅にある小型冷蔵庫。それがアイバンクだと先輩に教えられた。

 「アイバンクというからには、立派な建物に大きな貯蔵庫があって厳重に保管されているのかと思ったら、ただ冷蔵庫が置かれているだけ。コンセントが抜けたらどうなるんだろうと心配になりました」

 留学中に見た米国のアイバンクは、啓発活動や書類手続きを担当する事務部門、ドナーの角膜の摘出や運搬、検査、保管を行う医学部門、研究部門がそれぞれ機能している立派なものだった。日本では13年待ちだが、米国ではほとんど待たずに角膜移植が受けられたという。

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