一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏
(第22回) 埼玉知事選に出馬要請 =3日間「その気」に
2012年2月に行った天皇陛下の心臓バイパス手術で、天野氏の名前は全国に知られた。しかし3年以上がたち、「もう終わったことだから、そろそろ〝天皇陛下の執刀医〟からは卒業しなければ」と思うようになる。そこへタイミング良く、自民党から15年の埼玉県知事選挙への出馬要請があった。報道で知って意外に思った人も多いだろう。
「実は3日間ぐらい、その気になりました。日曜日に投票するじゃないですか。夜8時には開票が始まる。NHKの大河ドラマが終わった直後の8時45分のニュースは、その日大きな出来事がない限り当選した人の『万歳!』のシーンから始まりますよね。あれに出たかったなという単にそれだけです。あれをやりたかった」。目立とう精神が旺盛だと自認する天野氏らしい。
ちょうど副院長の任期を終える頃で、後進に道を譲り、自分は別の道を模索していたところだった。心臓外科医一筋の天野氏が政界進出を本気で考えたのは意外だが、小学生時代の将来の夢に医師、建築家のほかに首相も挙げていたから、県知事の選択肢もゼロではなかった。
「埼玉県は自分の生まれ育った地元だし、何らかの形で恩返ししたいという気持ちもありました。過疎化で産業も疲弊していて、埼玉県がダメになると日本全国ダメになるという直観があった。埼玉県を地域振興の旗頭にできないかという志はあったんです。医療の世界では人口10万人に対する医師、看護師数が日本で一番少ない県(※)ですから、そこから街おこしをするという大義名分もありました」
【補足】厚生労働省の調査によると、人口10万人に対する医師数(2014年12月末時点)は、京都府が最多で307.9人、埼玉県は最少で152.8人。看護師数(同)は高知県が最多で1314.4人、最も少ない埼玉県が568.9人。
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(2017/04/17 15:21)