女性アスリート健康支援委員会 更なる飛躍へエリートアカデミー開校

「プロジェクト2030」でスケート大国に
~革新的に日本の良さを取り入れる~
強化育成責任者に聞く(1)

 日本スケート連盟(JSF)は2030年までの長期間を見据えた強化体制「プロジェクト30」プランを構築し、メダル獲得競争でも世界第2位になることを目指している。29年シーズンがJSF創設100年の大きな節目でもあり、30年冬季五輪はまさにその集大成の機会となる。

 このプロジェクトには、女性アスリートがより活躍し、引退後の道筋を示す対策も盛り込まれており、他の競技団体のモデルケースになり得る。独自に創設したエリートアカデミーも開校2年目を迎え、選手たちに将来の選択肢を教える画期的な授業などもある。この活動をけん引するスケート部門の強化育成責任者、湯田淳強化育成ディレクターに話を聞いた。聞き手は、スピードスケートの女性アスリートを長年サポートしている拓殖大学の鈴木なつ未准教授。

湯田淳強化育成ディレクター

湯田淳強化育成ディレクター

 ◇フィジカル強化の次は日本の良さを伸ばす

 ―2014年のソチ五輪で日本スケート陣はメダル無しに終わりました。その後、湯田さんが強化部長に就任し、オランダのヨハン・デビット氏らを起用して、4年後の平昌五輪で金メダル3個を含むメダル6個、今年の北京五輪で金1個を含むメダル5個を獲得しました。順調に来たのではないでしょうか。

 「まあ順調に来たと言えます。平昌での目標はメダル4個だったのですが、それを上回る6個でした。かなり順調だと思います。北京ではメダル7個が目標でしたが、獲得できたのは5個でした。その点は悔しさが残る結果でした。ただし、久しぶりに男子で(500メートル銅メダル、森重航)メダルを取れたこともあり、一定の成果でした」

 ―団体追い抜きで金メダルを逃して2位だったのは残念でしたね。

 「団体追い抜きでの目標は金メダルでした。金を取れる力はあったと思います。しかし、本番への過程で万全の準備で臨めていたかどうか。3人の滑走する際にプッシュ方式で行くのか、入れ替わり方式で行くのか。本番では入れ替わる形で臨んだのですが、正解は分かりません。作戦を固めて臨んだ平昌と違い、北京はいろんなリスクを抱えて臨んでしまいました」

 ―ナショナルチームのヘッドコーチ(HC)が糸川敏彦氏になりました。

 「糸川さんは強化部長兼任です。8年前にソチ五輪でメダルが一つも取れずに惨敗した後に強化部長に就いた私としては、8年計画で立て直したいと考えました。米国やオランダからコーチを招聘(しょうへい)し、トレーニングのノウハウを学ぶことにしました。選手はそのノウハウを自分のものにし、コーチも一緒に学んでいくというものでした。ヨハン氏が15年5月の連休明けに来日し、北京五輪まで7年間やりました。学んだことをさらに発展させ、もっと大胆に日本の良さを取り入れることを目指し、ヨハン体制のアシスタントコーチだった糸川さんがHCに起用され、新体制となりました」

 ―「日本の良さ」とは何でしょうか。

 「日本の良さとは技術的な部分ですね。フィジカル面で世界から遅れていた日本を、ヨハンHCが強くしてくれました。ヨハンHCはフィジカル面ではたけていました。翌16年2月の世界距離別選手権、そしてその後も着実に一定の結果を出してくれましたから。スタートから半年間の陸上トレーニングで、フィジカル面の測定値が驚くほど上がりました。ヨハン氏は『日本人は勤勉でまじめにやってくれる。1年後にはもっと上げる』と言っていました。

 科学的なアプローチでフィジカルを強くすることはできましたが、一方で技術的な面がおろそかになる部分がありました。平昌五輪以降は、選手の気持ちがフィジカルより技術面の方が強くなっていったと感じます。ジュニアのコーチがヨハンHCに技術的な指導を聞いたことがありましたが、ヨハンHCは『それで十分』と言ったほど、日本の選手は技術的にレベルが高いのですが、今後はシニアの選手もフィジカルに加えて技術的な部分を強化していくことが重要となるでしょう」

鈴木なつ未准教授(左)と湯田さん

鈴木なつ未准教授(左)と湯田さん

 ◇スピードスケートとショートトラックの連携

 ―4年後の26年はミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に決定していますが、30年は札幌が2度目の開催の有力候補地となっています。

 「招致がうまく進めば、札幌での開催ということになる可能性は高いと思います。地元開催での活躍を目指す上では、スピードスケートとショートトラックを連携させることが有効と言えます。ショートトラックは今のままでは、かなり厳しい状況です。生半可なことをやっていたらメダルを取るのは無理でしょう。私は2年間ショートトラックの強化部長もやりましたが、スピードとショートトラックが、それぞれのいいところを補完していけば、もっとやれるだろうと考えています」

 ―具体的にはどのような連携でしょうか。

 「例えば、ショートトラックのテクニックをスピードスケートに生かします。短距離種目では、高速で滑るインカーブの技術は、まさにショートトラックのテクニックで磨かれます。団体追い抜きや(一斉に同時スタートする)マススタートの種目でも、現状のままではメダルを取るのは厳しくなります。レースの内容が年々激しくなっているからです。

 前の走者を押すなどの反則まがいの行為もあるなど激化しています。国際スケート連盟(ISU)が、もっとしっかりしたルールをきちんと整備してくれるよう願いますが、ショートトラックで集団滑走でのレースに慣れた選手はマススタートでちゃんとメダルを取っています。ショートトラック経験のある韓国の選手は最後のインカーブで膨らまずに滑っています。これらのノウハウを、戦術面やテクニック面も併せてどう作り上げていくかです」

 「まず、スピードスケートとショートトラックの合同チームを結成し、(ナショナルチームの下の)デベロップメントチームとして活動します。スピードスケートとショートトラックの練習内容は同じとなります。ショートトラックは1980年代からフィジカル面が課題となっており、現在もその課題が変わっていません。ショートトラックでは、技術・戦術の練習や用具の調整(スケート靴の底にあるブレードを何本も用意しなければいけない)など、やらなければいけないことが多いため、フィジカル面に特化して練習する時間が十分に確保できていないと感じます」

 ショートトラックの専門的なことをほとんどやらずに、そこから離れてフィジカルに特化してスピードスケートとほぼ同じトレーニングを行います。スピードスケートの選手もショートトラック用のリンクを使い、ショートの選手たちとともにショートのテクニックを習得します。2年間は種まきの期間として継続します。この2年間はショートトラックでは萌芽(ほうが)期、スピードスケートでは再生期という位置付けです」(了)

 湯田 淳(ゆだ・じゅん) 日本女子体育大学教授(スポーツ科学)。博士(体育科学)。1972年7月31日、秋田市生まれ。秋田高3年で全国高校総体男子1500メートル3位。筑波大学、同大大学院、社会人でも競技を続け、1999年に現役引退。2000年から日本スケート連盟科学サポート責任者として活動し、14年にスピードスケート強化部長、20年からショートトラック強化部長を兼務。22年からスピード強化育成ディレクター。

 鈴木なつ未(すずき・なつみ) 拓殖大学准教授。拓殖大学卒業後、筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ医学専攻修了。博士(スポーツ医学)。その後、独立法人日本スポーツ振興センターが運営する国立スポーツ科学センターなどで研究員を務めたほか、日本オリンピック委員会強化スタッフ、日本スケート連盟スピードスケートで科学スタッフなどとしても活躍。2021年1月からは全日本柔道連盟医科学委員会特別委員も務める。

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