こちら診察室 介護の「今」
心の耳 第52回
認知症の父親(80代)の家には、何人かの介護サービスの人がやって来る。ホームヘルパー、訪問看護師、リハビリのセラピスト(理学療法士)、ケアマネジャーらだ。このほか、デイサービスにも通っている。

そのヘルパーが来たときは、認知症の父親の顔がほころんだ
◇介護者は元アナウンサー
家族介護者は、父親と同じ市内に住む50代の娘だ。父親の状態によっては、泊まり込むことも多い。介護歴8年。1年前に父親にとって居心地がいいデイサービスが見つかり、やっと人心地がつくようになった。
ひどかった昼夜逆転がなくなったのが、その大きな理由だ。
「おかげさまで近頃は、父に関わる専門の人たちを『ウオッチング』する余裕も出てきました」
そう語る娘は、ローカルテレビ局のアナウンサーの職歴を持っている。現役時代は、インタビューをはじめ、多くの人たちの話を仕事として聞いてきた。
そんな娘が「週に一度、父の表情がすごく輝くんです」と特に注目するヘルパーがいる。
◇金曜日のヘルパー
ヘルパーは、複数人いて、曜日ごとに来る人が決まっている。娘が名指しするのは、金曜日に来るヘルパーだ。
父親は話し好き。金曜日のヘルパーは「聞き上手」で、その人が来る金曜日には、すこぶる機嫌がいいらしい。
娘の観察によると、とりわけコミュニケーションのテクニックを駆使しているわけではないらしい。
◇コミュニケーションテクニック
医療・介護の専門職のテクニックには、アイコンタクト、共感的態度、うなずき、相づち、繰り返し、沈黙、言い換え、要約、焦点化、明確化など、さまざまなものがある。いわゆる「面接技術」と言われるものだ。
娘は、知人のソーシャルワーカーから、そのようなテクニックを聞いたことがある。アナウンサーとしてのインタビューの経験からも、同感できるテクニックは多い。
◇テクニックの傾向
コミュニケーションの取り方には、専門職ごとに違いがあると娘は観察する。
例えば、ケアマネジャーやヘルパー事務所の責任者(サービス提供責任者)らは、こうしたテクニックを使っていることが手に取るように分かるのだと娘は言う。一方で、あらかじめ聞きたいことを持っていて、話の中にそれを巧みに混ぜる。父親が話したいことを聞くというより、自分から聞きたいことを尋ねるという傾向があるようだ。
訪問看護師やセラピストなどの医療職は、コミュニケーションテクニックを使いながら、父親の生活に対する医療的指導に軸足があるのを感じることが多い。
ヘルパーの多くには、コミュニケーションテクニックの水面下にある意図を感じることは少ないが、認知症のある父親への対応におざなりさを感じることが少なくない。
◇心の耳の方向
そのヘルパーは、そのどれとも違っていた。テクニックを意識的に使っているとは見えなかったし、おざなりさを感じることもない。どちらかと言えば、作業をしながらの「ながら聞き」なのだが、父親の反応はどの専門職とも異なるのだ。
父親は認知症が進み、繰り言も多くなっている。それでも、そのヘルパーが来ているときには、顔がほころび、表情が豊かになり、ヘルパーにいろんなことを語り掛ける。
娘は「心の耳が、父親に向けられているのではないか」との確信を抱くようになった。
「認知症だから、いや、コミュニケーションがとりづらい認知症だからこそ、相手の心の中にある耳の方向に敏感なのだと思います」と娘は語る。
娘は、アナウンサー時代に、外面だけでうなずいたり、相づちを打ったりしても、本当の気持ちや考え方が引き出せないことを痛感してきた。
◇インタビューが成功する時
インタビューに手応えを感じるのは、相手の話に本気で共感したり、感情を動かされたりしたときだ。すると、質問がさえ渡り、相手も本音で返してくる。
「番組のスタッフがキュッと一つにまとまるのは、そんなときなんです。実は、インタビューに関して言えば、アナウンサーよりも、番組のディレクターの方が突っ込んだ内容になる場合もあります。言葉の流ちょうさよりも、相手を理解しようとする気持ちが強いほど、インタビューは成功するんです」
娘は、それが体得できるまでには、多くの経験が必要だったと付け加えた。
◇「本気」が生む心地良さ
「本当にびっくりするんです。若いヘルパーさんなんですよ。言葉遣いは丁寧とはいえず、敬語の使い方にいたっては間違いだらけ。でも、ほれぼれするくらい、聞き上手なんです」
そのヘルパーは、誰の話でも「本気モード」で耳を傾ける。
娘がヘルパーで話し掛けた時にも、「あっ、この人、本気で私の話を聞いてくれているな」と感じ、「父の心地良さがちょっとだけ体験できました」と語る。
アナウンサーといえば、話のプロ。その彼女が舌を巻くホームヘルパー。蛇足ながら付け加えておけば、「介護の技術、ただ今見習い中」の「若葉マーク」のヘルパーだという。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。
(2025/04/08 05:00)
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