こちら診察室 介護の「今」

泣くこと 第48回

 悲しいとき、切ないとき、悔しいとき、つらいとき、寂しいとき、痛いとき…。人は涙を流す。もらい泣きもあれば、うれしいときにも涙がにじむ。小説や映画、人の話を聞いても、「かわいそう」「良かったね」と涙があふれることがある。

人は成長とともに「泣く」意味が変わってくる

人は成長とともに「泣く」意味が変わってくる

 ◇子どもから大人へ

 赤ちゃんも泣く。産声は、初めて肺で呼吸をしたときに出る泣き声だが、それ以降は表現の手段として泣く。彼らはまだ言葉を知らない。だから、感情や生きるための欲求を泣くことで表現する。

 人は泣きながら成長する。

 やがて人は、言葉を一つひとつ覚えていく。コミュニケーション手段は、次第に「泣く」から「言葉」へと置き換わっていく。

 大人になるにつれ、泣くという行為は、喜怒哀楽といった感情発露の一つの手段となる。例えば、「かまってほしい」と泣くのは、まだまだ子ども。大人は、他者への表現手段というより、内なる感情の自然な発露として泣くようになる。だから、たった一人でいるときに、じんわりと涙がにじむこともある。

 ◇感情の発露

 「発露」とは、感情が自然に態度や行動に表れること。隠れていた気持ちが表れるという意味もある。

 失恋、失意、絶望、後悔、不安、共振、感謝など、涙の場面はさまざまにやってくる。「介護」もまた、涙の宝庫だ。

 筆者も、介護者や要介護者にインタビューを重ねる中で、幾度も涙に遭遇した。

 幸せだった過去の日々を思い出す涙、今の苦境をかみしめる涙、今後の行く末を案じる涙、「これでよかったのか」と自分の至らなさを責める涙、感謝の念に流れ落ちる涙…。

 ◇涙の効能

 「涙があるからこそ、私は前に進めるのだ」

 これは、インド独立の父ガンジーの名言だそうだ。

 泣くという行為は、感情の発露であると同時に、感情の解放でもある。

 1例を紹介しよう。

 ◇20年に及ぶ介護生活

 東京都下のある街に暮らす田中公子さん(55歳、仮名)の結婚生活は、母親の介護に明け暮れた日々だった。

 当時67歳の母親がくも膜下出血で倒れたのは、公子さんが結婚式の案内状を書いているときだった。それから20年。

 「まるで雪だるまのように、母親の病気はどんどん増えていきました。その中で一番介護が大変だったのは、2年ほど前。そう、歩けなくなる直前だったでしょうか」

 その頃、母親はすでに聴力を失っていた。認知症になってから、10年ほどが経過していた。

 介護保険は利用せず、更衣、入浴、食事、排せつの介助、徘徊(はいかい)防止の見守りなど、公子さんは自分一人で介護を抱え込んだ。

 母親からはひとときも目を離せない。何とか自分の時間を持ちたいと自費でヘルパーに来てもらい、家事援助を依頼したこともあった。しかし、他人を家に上げることに気を使い、費用もばかにならない。数カ月で、ヘルパーを断った。

 介護疲れはピークに達しようとしていた。母親の体調も思わしくない。下痢気味で熱が何日も下がらない。肺炎だった。緊急入院となった。

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