Dr.純子のメディカルサロン
震災直後、みんなでつくったカフェ
~仮設から出発して今も交流の場~ 歯科衛生士・吉田和子さん
海原 健康の拠点という意味でもスタートしたわけですね。りくカフェでは、さまざまな交流が行われていましたね。多くのミュージシャンが訪れ、坂本龍一さんのサインもありますね。音楽との関わりも以前からですか。
りくカフェの壁には訪れた人たちが思い思いのメッセージを残す
吉田 震災後、多くのミュージシャンが音楽で支援しようという思いで、陸前高田を訪れてくださいました。
岡淳さんたちを中心とするジャズミュージシャンのグループ「ジャズフォー東北」の皆さんとは、気仙町の公民館に知人の関係者が演奏するというので聴きに行ったのがきっかけで、りくカフェでも演奏していただくことになり、今も素敵なつながりを持っています。
アカペラの関係は20年前から慶応大学のアカペラサークルを陸前高田に呼ぶイベントが続いていたので、自主的に来てくれました。そのOBやサークルからも新たに歌の支援に来てくれました。
坂本龍一さんは、陸前高田市の隣の住田町にご支援くださっていて、りくカフェに近い第一中学校に演奏があるという時に一休みしてくださいました。演奏はなしでしたが、ゆっくりしてくださいました。
海原 りくカフェを訪れたミュージシャンや支援者のサインが壁にたくさん残っていますね。和子さんは東京出身で歯科衛生士でいらっしゃいますよね。震災後いろいろとご苦労があったと思いますが、大変なことをどのようにして乗り越えたのでしょうか。
現在のりくカフェ
◇残った自宅、他の人に申し訳ない思い
吉田 震災で(りくカフェのある)高田町内にあった医療機関は全て被災してしまいました。震災前から親しくしていた鵜浦医院の章先生ご夫妻、森の前薬局の黄川田さんたちと、お互い無事でいたことがパワーの源だったと思っています。
でも、新聞などで毎日亡くなった方の情報が記載されるのを見て、「あぁ、あの方も、この方も」とつらい思いでした。
家のすぐ近くに災害本部があり、仮設の市役所もできたので、多くの市民が近くを歩いていました。自宅が残ってることが申し訳ないように思い、表に出たくない気持ちになったこともあります。
「大変だったでしょう」と言っていただいていますが、そういうことを考える余裕もなく、今日まで来たというのが本当かもしれません。カフェも初めてやることでしたし。
楽しかったのは、テーブルにそれぞれ違う所から来た方が座り、話し始めると、何かしら共通点があり、盛り上がっていったことです。
安倍首相がりくカフェを視察で訪れ、体操を体験
◇無理のない生活を
海原 今後やりたいことなど、教えてください。
吉田 歯科衛生士として、食べる、だ液を出すことの大事さ、もちろん口腔ケアを含めてですが、小さい頃からの生活習慣を良い方向に持っていくためのきっかけになる話をしていきたいと思っています。
糖尿病も、歯周病と密接につながっているので、その関係も話していきたいです。
先日、何とか、認定歯科衛生士(糖尿病予防指導)の資格も得ました。65歳になって「無理ない生活を」と考えています。
安倍首相も壁に寄せ書き
スキー、ゴルフ、水泳、自転車。適度に続けていきたいです。歌も、りくカフェコアメンバーの4人でコーラスグループをつくりました。ウクレレも始めています。動と静の趣味を続けていきたいですね。
海原 活動的で生き生きした吉田さん。震災後の困難さを乗り越えてきたのは、そのアクティブな行動力と、人と人をつなぐ力のように思えました。この3月8日には安倍晋三首相も、りくカフェに視察にみえました。りくカフェは今後、認定NPOを目指しているということです。ぜひホームページをご覧ください。
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(2019/03/11 13:26)