医学生のフィールド

「データ駆動型社会の中で求められる生きる幸せとは」 第3回inochi未来・WAKAZO適塾 松山大耕氏登壇リポート

 9月25日、第3回inochi未来・WAKAZO適塾(以下、適塾)が開催された。今回は臨済宗妙心寺 退蔵院の副住職兼スタンフォード大学客員講師の松山大耕氏を招いて、「データ駆動型社会の中で求められる生きる幸せとは」をテーマに講演が行われた。パネルディスカッションでは、社団法人inochi未来プロジェクト理事長 澤芳樹氏が参戦し、オンラインでつながった100人の若者たちとともに議論が白熱した。
文:李 承昱(り すんうく)(東京医科歯科大学医学部医学科2年)

松山先生

 デジタル庁の創設、ハンコの廃止などで話題となっている「データ駆動型社会」。加速するビジネス環境の変化に対応し社会課題を解決すべく、蓄積されたデータを活用して意思決定を行う動きが広がっている。

 8月から始まった適塾の初回では、データ駆動型社会において既存の産業の枠組みを超えた「第三種人類」的な取り組みが必要になるという内容で議論を深めた。

 第2回は、データを強制的に回収して利用していた社会からその利用価値に人々が共感し、自ら情報を提供する「共感価値型社会」にスポットを当て、若者がイノベーションを起こすために必要となるものや起こすべき行動は何かを議論し、移行期にある共感価値型社会を大きくドライブするために万博があるとまとめられた。

 「共感」は社会課題を解決する中で大きなコンセンサスである。何に価値を感じるかは、どこに幸せを感じるかという問いと重なると考えられる。

 日本は経済的に豊かでありながら、国民の幸福度が低いと言われている。日本のように寛容性が低い社会の中では、他者に対して排他的になり、閉鎖思考に陥りやすい。テクノロジーは本当に人を幸せにするのか。「データ駆動型社会」の実現にあたって、われわれは何を考えなければならないのか。第3回では、2100年のデータ駆動型社会において、われわれの幸せはどう変わるのか、どう変わらないのかについて熟議を行った。

 講演では、松山氏は現代社会における「幸福」や「価値観」の問題点を指摘し、幸せを感じにくい現代の若者たちに対して、幸せの定義を『自分が得たもの÷自分が欲しいもの』と紹介した。日本ではLGBTQなどの多様性、さまざまな形態の幸せを受け入れる必要性を認識しているにもかかわらず、価値観がいまだに垂直化している。常に他者と比較され、自らも比較する。このような比較社会、そしてSNSが象徴するようにリアルな世界へのバイアスは、人を幸せから遠ざけているのだという。

パネルディスカッション

 100年前に比べて、生活の質や水準は大幅に上昇しているはずだが、幸福度は必ずしも上昇しているとは言えない。得たものが多くても、欲しいと思うものがそれより多ければ幸せを実感しづらい。また、人生の喜びは、偶然なる幸せな幸運を指す「セレンディピティ」だと語られた。けれども、アルゴリズムに提案された人生を歩み続けると、その「セレンディピティ」がわからなくなる。つまりデータ駆動型社会で、アルゴリズムが生活のあらゆる面に浸透すると、幸せを一層感じにくくなるというのだ。

 議論の最後に、松山氏は若者たちには「自由」を大事にしてほしいと訴えた。「自由」は仏教の言葉であり、字のごとく、「自らに由る」ことを指す言葉だという。

 「自由」を忘れず、「幸せ」を感じ続けながら「共感」を得ることこそ、これからの社会を担ってゆくわれわれの「生きる幸せ」につながる。深いメッセージが込められた議論であった。

 複数のSNSを使いこなし、ネットでおすすめの商品を購入する。テクノロジーの恩恵を享受しているように思えるが、それが本当に幸せにつながっているのか?そしてそもそも幸せとは何なのか?

 松山氏の講演は、忘れがちだが非常に大切なことを考えるきっかけとそのヒントを与えてくれた。めまぐるしく変化する現代の生活の中で、「幸せとは何か」という本質的なことを考えなくなることもあるかもしれない。しかし、価値ある未来を創っていくために、この問いは胸に刻み続けていきたい。(了)


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