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ヒューマニティーあふれる医師養成
~病気ではなく病気を持った患者を治す―金沢大学医薬保健学域医学類~

杉山和久・金沢大学医薬保健学域医学類長

杉山和久・金沢大学医薬保健学域医学類長

 金沢大学医薬保健学域医学類は加賀藩の金沢彦三種痘所を起源とする150年以上に及ぶ長い歴史を持つ。多数の観光客が訪れる兼六園の近くにあり、前身の旧金沢医科大学の初代学長は高安病を発見した眼科の高安右人教授。杉山和久医学類長は「北陸3県の最後の砦(とりで)として、あらゆる疾患に対応できる医師、病気ではなく病気を持った患者を治すヒューマニティーにあふれた医師を育てたい」と話す。

 ◇メンタルヘルス対策を徹底

 石川県は新型コロナウイルス感染症の感染者数が2021年11月上旬時点で、ゼロの状態が続き、ようやく日常を取り戻しつつある。

 「せっかく大学に入学しても、授業はオンラインで、友達もつくれないような状態が1年くらい続きました。病院実習では患者さんに接することができないので、問診や検査、手術の見学もモニター越しでした。関連病院での学外実習も行えず、学生たちは本当に大変だったと思います」

 部活動などの課外活動もストップしてしまい、学生生活は一変。このままでは学生たちが引きこもってしまい、メンタルヘルスの不調を起こすのではないかと危惧された。

 このため、教授、准教授、講師、助教も含めた教職員が総出で、頻繁にオンラインで学生とコミュニケーションを取る機会を設けた。さらに、学生を少人数グループに分けて、ソーシャルディスタンスを保ちながら対面での面談も実施した。

 「精神的に落ち込んでいないかどうか、メンタルケアに力を入れました。幸いにして、医学類では、うつ病などを発症する学生は出ませんでした」

 感染拡大のピーク時には、コロナ専門病棟を設けて地域の重症患者を受け入れてきたが、現在では患者数ゼロに落ち着いている。

 「ワクチン接種率も上がっていますし、内服薬も使えるようになれば、このまま収束してくれるのでは」すべての人の切実な思いだ。

旧金沢医科大学の初代学長、高安右人教授の銅像

旧金沢医科大学の初代学長、高安右人教授の銅像

 ◇オンライン授業、小テストでカバー

 授業のオンライン化によって、学生の学習成果が低下しないよう、同医学類ではオンデマンドの各コマの最後に小テストを実施する仕組みをつくった。

 「対面授業なら、学生がきちんと授業に集中しているかを見ることができますが、オンデマンドでは確認できません。そこで、最後に授業のポイントを5~6問作って、回答させることにしました。確実に内容が身に付くようにと考えた結果です」

 オンラインの弊害をカバーするための苦肉の策が、学習成果を高めるために役立つことになった。この小テストによる定着度チェックの手法は、通常の授業以外でも医師や看護師をはじめ、全職員を対象とした医療安全の講習でも使われ、成果を上げているという。

 ◇研究医養成をサポート

 国際的な医学教育認証制度の導入に伴い、医学部のカリキュラムは実習時間が大幅に増え、より実践的な臨床医の育成にシフトしている。それとともに専門医志向が高まり、研究医を目指す学生が減ってきているのは全国的な傾向でもある。

 「臨床と研究の両方に取り組むのが大学の使命ですから、早い段階から研究室で実施されている研究やゼミナールに参加できるプログラムも用意しています。海外の先生とコミュニケーションが取れるよう、英語力の強化にも力を入れて、国際的に活躍できる医師の育成にも取り組んでいきたい」

 ◇卒後教育にも重点

 「医学教育は卒業した後の方が大事」と杉山医学類長は強調する。特に、診療科別に行う後期研修では、専門医を取得するために必要な内容を学ぶため、力を入れていきたいという。

 「医師国家試験はほとんどの学生が合格しますが、専門医の取得試験の合格率は7割程度です。学会に参加したり、論文をまとめたりするほか、筆記試験に面接と大変ハードルが高い。専門医の資格を取得した後、さらに高度な知識や技術を学ぶ必要があるため、一人前の医師になるには、医学部卒業後10年はかかると考えています」

キャンパスにある十全講堂。1895年に学生・職員・教授で組織した「十全会」に由来する

キャンパスにある十全講堂。1895年に学生・職員・教授で組織した「十全会」に由来する

 ◇すべては人との出会いから

 杉山医学類長は同大学の出身。初代学長と同じ眼科の道を選んだ。

 「内科的なことと外科的なことの両方ができて面白いと思いました。顕微鏡下手術にも興味がありましたし、自分の手で患者さんの治療ができるというのも魅力でした」

 医学部生時代は白血病など不治の病とされる病気がまだまだ多く、治療のかいなく患者が亡くなっていく状況に心を痛めることも多かったという。

 「今では医学が発達して、かつては治せなかったものも治るようになってきました。平均寿命が延びて、さらに高齢化が進んでいきます。眼科医の役割がますます重要になってくると思います」

 金沢大学を卒業後、故郷の岐阜大学の眼科に入局。そこで出会った恩師から、臨床医でも基礎医学を学ぶことの大切さを教わった。

 「解剖学実習では人体構造の面白みが分かってきて、視神経や血管の三次元構造を、夜中までかかってスケッチしました」

 愛媛大学の解剖学教室に短期の国内留学をして、そこで出会った大学院生に、電子顕微鏡の使い方、組織の切片の作り方などを学び、さらに渡米して緑内障の研究に没頭した。

 「米国でも師となる素晴らしい先生にめぐり会えました。師との出会い、友との出会いが私の人生にとって、大きなプラスになってきたのだと思います」

インタビューに応じる杉山医学類長

インタビューに応じる杉山医学類長


 ◇ポジティブ思考が成功のカギ

 そうした自身の経験を踏まえて、学生時代の友人や尊敬する先生との出会いを大切にしてほしいと話す。

 「医学部の6年間で知り合った人は、医師になってからも一生付き合うことになる人たちです。この1年間はコロナのために、学生たちが友達をつくる機会が失われ、とても申し訳なかったと思いますが、これからの学生生活の中で一生の友達をつくってほしい」

 最近の学生の中には、人とのコミュニケーションが苦手な人も少なくない。一生の友を得るための秘訣として、杉山医学類長は次のようにアドバイスする。

 「人の言うことを悪く解釈せずに、ポジティブ思考で接することが大切だと思います。言葉には二面性がある。言われたことをアドバイスと受け取るか、ネガティブ(否定的)に受け取るかで、その後の展開は全く違ってくるでしょう。人の良い面を受け入れて、何でもポジティブに受け取ることが、人生の成功の扉を開く鍵ではないかと思います」

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


  杉山 和久(すぎやま・かずひさ) 金沢大学医学系長・医学類長。1984年金沢大学医学部卒業、岐阜大学眼科学教室入局。岐阜大学眼科助手、米国オレゴン医科大学眼科留学。岐阜大学眼科助教授を経て、2002年金沢大学医薬保健学域医学系眼科学教授。金沢大学附属病院副病院長、金沢大学副医学系長を経て20年から現職。


【金沢大学医薬保健学域医学類 沿革】
1862年 彦三種痘所開設
  73年 金沢病院開院
  76年 石川県金沢医学所開設
1901年 金沢医学専門学校開設
  23年 金沢医科大学に改組
  49年 金沢大学医学部に改組
  55年 大学院医学研究科(博士課程)設置
2004年 国立大学法人金沢大学
  08年 金沢大学医薬保健学域医学類に改組

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