女性医師のキャリア

小児外科医として働き続ける苦悩
~時代に合った医局の在り方を問う~

 ◇産休中にまさかの「マタハラ」

 産休に入った途端、上司から電話が入り、「大学医局に医師が来てくれるよう頼んであるから出産後に君のポジションはないかもしれない。ほかの病院を探しておいた方がいい」と告げられ、がくぜんとしました。臨月でいつ産まれるかも分からない中、複数の小児外科施設に電話で問い合わせましたが、受け入れ先はありませんでした。

 長女を出産後、「新しい医師が来ることは決まったのでしょうか?」と上司に尋ねたところ、「そんな話、したっけ? 新しい医師なんて来ないよ」とあっさり言われたのです。後に「マタニティハラスメント」という言葉が一般化しましたが、これはまさにそうだったと言えるでしょう。結局、出産後57日目(産後8週)に何事もなかったかのように職場復帰しました。

 ◇言葉で伝えることの大切さ

 2008年に次女を出産し、このときは病院から産前産後に8週ずつ休むよう指導が入りました。09年に三女の妊娠を上司に告げたときには大きなため息とともに、「そんなに産んで周囲のサポートは期待するなよ」と言われました。何気ない一言ですが、傷つきました。2人目の妊娠時には毎日点滴をすることで悪阻もほどほどに乗り切ることができたので、当直やオンコールはもちろん、産休に入るぎりぎりまで手術もしていました。妊娠の合併症がなく体調も良かったため、周囲に業務の負担をかけたり、私が何か特別なサポートを受けたりしている意識はありませんでした。けれども出産後は自分で主張しなければ育児との両立が難しい場面に何度か直面しましたので、被ばく受ける検査をほかの医師に代わってもらうなど、言葉で伝えるよう心掛け、助けていただきました。ただ、出産に際して「おめでとう」の言葉をかけられたことはなく、妊娠や出産が決して歓迎されていないということを肌で感じていました。

喉頭の内視鏡手術を行う東間医師

喉頭の内視鏡手術を行う東間医師

 出産後、職場に大きな変化

 それでも第1子出産後に職場では大きな変化がありました。上司が私の育児時間を確保するために、「回診は午後5時から、そこで業務は終了」と終了時間を決めてくれたのです。それまでは「回診する」と上司が言うまでは全員が帰れず待機していました。午後の7時や9時に回診するときもあり、病棟業務や自分のデスクで論文を書いたりしながら待機するのが当たり前となっていました。プライベートな予定が立てられずにいたので「午後5時からの回診」は本当にありがたかったです。

 さらにもう一つの大きな変化として「主治医制」から「チーム制」に変更となりました。チーム制であれば、担当患者についてチームのメンバーに任せることができます。チーム制の導入は、私自身の育児と仕事の両立に寄与しただけではなく、外科医全員のQOL(生活の質)が大幅に上がりました。

 これらは上司が「私との相談なしに」決めてくれました。もし相談されていたら、古い外科体質で育ってきた私はきっと忖度(そんたく)して現状を変えようという発言はできなかっただろうと思います。

 ◇「母親神話」は捨てるべき

 わが家では、夫が家事も育児も「やれる方がやる」というスタンスなので、私が「ありがとう」と言うと「自分たち2人の子どもなのだから、ありがとうは必要ない」と言われます。女性が結婚後にキャリアを継続するためには、夫の人となりを見極めるのはとても重要です。「子どもは母親を必要としている」的な母親神話、社会通念は男女ともに捨てるべきだと思います。

 私が3人の子育てを通じて感じたのは、幼児までは育児は母親がやる必要はなく、まして肉親である必要もないということです。抱っこして食べさせて、愛情を注いでくれる存在があればしっかり育ちます。その意味でわが子は本当に素晴らしい保育士に恵まれて愛情豊かに育てられたと感謝しています。ただ親や家庭を強く認識する学童期では親を欲するようになります。学校ではなにかしら「母親」の介入が求められ、母親自体も「自分でなければ」という思いが強くなります。母親プレッシャーに負けそうになりますが、自分で自分を「ダメな母親だ」と思うことがないように子供のための時間を必ずつくるように心掛けました。

 ◇女性歴代9人目最短で指導医に

 2012年、卒後16年目43歳のときに小児外科指導医の資格をほぼ最短で取得できました。指導医のハードルは高く、現在も女性指導医は20人程度しかいません。指導医の資格取得は卒後15年以上が要件となっていますが、通常15年で指導医を取得するのは男女問わず困難です。理由としては医局人事によって数年ごとに勤務施設を異動する生活では15年で資格取得に必要な手術数を充足することが難しいことが挙げられます。多くは40代後半から50代での取得となることから、指導医の高齢化が問題となっています。

 私が最短で指導医までの資格を取得できたのは、医局に属さず自ら施設を選び、多くの症例を集中的に経験できたことが大きかったのではないかと思います。


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